“最後の赤の砦”ウィーン市の行方

長谷川 良

音楽の都ウィーン市のミヒャエル・ホイプル市長が退任するのを受け、与党社会民主党は今月27日、後継者選出のための臨時党大会を開催する。市長候補者には住居建築担当市参事会員のミヒャエル・ルドヴィク氏(56)と連邦社民党の院内総務を務めるアンドレアス・シーダー議員(48)の2人が出馬している。

▲ウィーン市庁舎(2013年4月26日撮影 )

複数の世論調査ではルドヴィク氏が議会の基盤もあって戦いを有利に進めているが、シーダー議員は連邦議会での豊富な体験を生かし、急迫してきた。

ウィーン市社民党臨時大会には981人の党員代表が参加する。ウィーン市は東京都と同様、23区から構成されているが、ルドヴィク氏は多くの区党員の支持を固め、労組党員も既に同氏の支持を表明している。一方、シ―ダー氏は1区など中央区の党員支持を受ける一方、市議会の党幹部たちの応援を受けている、といった具合だ。
なお、臨時党大会で勝利した候補者は市議会で政権パートナーの「緑の党」の支持を受けて、新市長に就任する運びとなる(今年5月末の予定)。

ところで、ホイプル市長(68)は1993年にウィーン市社会民主党党首に就任し、翌年94年11月からウィーン市長を務めてきた。その間、社民党筆頭候補者として4年毎に実施される市議会選に勝利を重ねてきたわけだ。並大抵のことではない。その意味で、ホイプル市長の23年間の功績を評価せざるを得ないだろう。

参考までに、ウィーン市議会は戦後1945年から今日まで社民党(前社会党)が政権を掌握してきた。だから、ウィーン市は「赤の砦」と呼ばれ、選挙のたびに得票率を落としてきた社民党の中でもウィーン市社民党だけが過半数の得票率を占めるなど、最後の赤の砦を死守してきた。ただし、前回の市議会選(2015年)で得票率39・6%に留まったため、「緑の党」と連立政権を樹立し、今日に到る。

ウィーン市は戦後、世界の観光都市の地位を確立すると共に、30以上の国際機関の本部、事務局を誘致し、国際会議の開催地としてその名を広めてきた。一方、市の治安は外国人問題やイスラム教問題でメディアを賑わすこともあるが、他の欧州のメトロポールと比べれば安全だ。社民党の長期政権による政情の安定という利点がある一方、市行政の腐敗や怠慢といったマイナスの現象も見られる。

オーストリアでは昨年末、中道右派政党「国民党」と極右政党「自由党」の2党から成るクルツ連立政権が発足した。欧州の政界の右派傾向の風を受け、国民党と自由党は同国“最後の赤の砦”ウィーン市の奪取を目指している。ウィーン市議会選は2020年だが、新市長の誕生を受け、早期選挙の実施が予想されている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年1月19日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。