安倍首相が得た「ルーマニアの教訓」

安倍晋三首相が今月16日、ルーマニアの首都ブカレスト入りする直前、同国のミハイ・トゥドゼ首相が辞任を表明したというニュースが飛び込んできた。安倍首相ら日本関係者はルーマニアの政変の真っ只中にブカレスト入りしたわけだ。ホスト国ルーマニアの政治空白という異常な状況に遭遇した安倍首相は不運だっただろうか、それとも民主革命からほぼ30年が経過するが、依然政情不安定な東欧諸国の生の姿を目撃できたことは政治家として貴重な体験となっただろうか。

▲安倍首相とルーマニアのヨハニス大統領、2018年1月16日、ブカレストの大統領官邸(日本首相官邸公式サイトから)

以下、安倍首相が対峙したルーマニアの政情を簡単にまとめる。

ルーマニアで2016年12月11日に実施された総選挙に圧勝した与党中道左派「社会民主党」(PSD)は昨年1月15日、中道右派「自由民主主義同盟」(ALDE)と連立政権を発足させた。PSDのドラグネア党首はソリン・グリンデアヌ氏を首相にしたが、同首相は17年6月21日、自党のPSDとALDEが提出した不信任案が承認され、辞任に追い込まれてしまった。そこでトゥドゼ氏(PSD)がその後継者となったが、ドラグネア党首とのPSD内の権力闘争に巻き込まれ、安倍首相がブカレスト入りする前日、突然辞任を表明したわけだ。トゥドゼ首相(PSD)の辞任後、ドラグネア党首は側近のミハイ・ヴィオレル・フィフォル国防相を暫定首相に任命した。

トゥドゼ前首相はドラグネアPSD党首と司法改革法案で対立してきた。直接の契機は、ブカレストの警察官の未成年者への性的虐待事件に対する対応でカルメン・ダニエラ・ダン内相と対立。内閣改造でも党内の強い反対に直面したトゥドゼ前首相は「党内の信任がなくなった」という理由から辞任に踏み切ったわけだ。

ドラグネア党首は過去、選挙の不正操作などで前科があって、首相には就任できないが、政府をコントロール下に置いてきた。刑罰の緩和を目指す司法制度改正法には強い関心を有してきた。
PSDは公式には社会民主主義を標榜しているが、実際はニコラエ・チャウシェスク独裁政権時代に仕えてきた政治家や閣僚の末裔であり、“腐敗政治家、ビジネスマンの寄せ集め集団だ”という辛辣な批判も聞く。

ブカレストからの情報によると、同国で20日夜、雪が降る中、約7万人の国民が反政府デモを行った。現地からの情報では治安部隊との衝突は報じられていない。デモ参加者は地方から首都ブカレストに結集してきた。ロイター通信によると、首都の他、20カ所の都市でも小規模の反政府デモが行われたという。

デモ参加者は、PSDとALDE連立政権が昨年12月に承認した検察側の権限制限を狙った司法制度改革に反対し、「法治国家をなし崩しにしている」と批判している。クラウス・ヨハニス大統領(国民自由党=PNL党首)が同改革法案にまだ署名していないため発効していない。現政府は昨年2月、同法案を議会に提出したが、国民の強い反対に遭遇し、一旦撤回した経緯がある。

ルーマニアでは総選挙後、1年間で2度、首相が辞任に追い込まれたことになる。「わが国は政治的カオス状況に陥っている」とブカレストのメディアは嘆いているほどだ。

公式訪問前にホスト国の首相が突然いなくなる、といっためったにない出来事に遭遇した安倍首相はどのような教訓をそこから引き出しただろうか。今年9月に自民党総裁選がある。3選を目指す安倍首相としては、党内の結束がいかに大切かを肌で感じられたルーマニア訪問となったのではないか。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年1月22日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。