超ヒマ社会のススメ4:早くぼくの代わりに働いて

中村 伊知哉

コンテンツなる言葉が使われ始めたのは25年前、1993年のこと。デジタル化により、端末はマルチメディアとなり、流通網がインターネットに収束していく。それまで映画、ゲーム、音楽、新聞、書籍などバラバラだった情報サービスも、その上で一体的に流通するようになる。それをとらえて生まれた概念です。

コンテンツは産業として期待を集めます。経済産業省は「コンテンツ産業は新たなリーディングインダストリーとして、我が国経済を牽引する可能性大」(2003年11月「コンテンツ産業をコアにしたジャパンブランドの確立」)との認識を示し、2004年4月、内閣官房・知的財産戦略本部がとりまとめた「コンテンツビジネス振興政策」では、これを押し進め、「コンテンツビジネス振興を国家戦略の柱に」すると述べました。

しかし、当時ぼくが過去のデータで推計したところ、コンテンツの産業規模はGDPの関数です。GDPのコンテンツ産業規模に対する決定係数は0.988で、GDPが増大する場合のコンテンツ市場拡大への弾力性の値はほぼ1。GDPの伸びを越えてコンテンツが成長する可能性は低い。主客が逆で、そもそもGDPを増やさないと成長しない。

現に、政府の期待をよそに、コンテンツ産業が経済を牽引するほど成長を見せることはなく、その後むしろデジタル化の影響を受けてコンテンツ産業の規模は縮小傾向にあります。

他方その間重要性を増したのはソーシャルメディアでした。PCケータイ、インターネット、コンテンツからなる「デジタル化」が一巡した後、スマホ、クラウド、ソーシャルメディアからなる「スマート化」がやってきて、サービス層の主役は産業的にも情報トラフィック的にもコンテンツからソーシャルに重心移動しました。

コンテンツの重要性が下がったわけではなく、コンテンツをネタにしながら、コミュニケーションやコミュニティの価値が高まった、ということです。コンテンツからみると、ソーシャルメディアはプラットフォームと呼ばれ、自らが活躍する命綱でもありました。

ソーシャルではなく、コンテンツ配信を本業とするNetflixやAmazonなどのプラットフォームも力をつけました。日本の配信プラットフォームはdocomoのiモード以来のならわしとして公平なプラットフォームたることに注力し、コンテンツ制作には冷淡でした。

ところがNetflixやAmazonはコンテンツの自社制作に巨額の資金を投じ、プラットフォームとコンテンツの両立を図ります。というより、プラットフォーム☓コンテンツこそが競争力の源とみます。それはもともと任天堂がファミコン時代から採った成功モデルであり、それを映像メディアで実行したということです。

ついでに言えば、AppleがPC・iPhone→iTunesのハード+ソフト両面モデルを採り、Googleが検索エンジン→Androidのソフト+ハード両面モデルを採ったのも、ゲーム機+ゲームソフトの任天堂/ソニーモデルです。

さて、スマート化はシェアという産物をもたらしました。所有より「いいね」を求める人々を生みました。そして家やクルマという大きなモノから、時間やスキルといったバーチャルを共有する方向へと動いています。

「超ヒマ社会のススメ3:何足のわらじをはきますか?」
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2018/01/blog-post_25.html

その価値を可視化するサービスも現れました。例えば個人の価値を株式のように評価し、ビットコインで売るVALU。人気YouTuberの売り抜け騒動でヤバいイメージがつきましたが、人の能力や価値を評価・資金化して共有・流通する仕組みは、ソーシャル上での人のコンテンツ化を進める点で、かなり真ん中の球です。

自分の価値を認識し、自己をコンテンツ化しながら、その時間やスキルをモジュール的に提供する。何足もはいたわらじをあちこちに脱いでいく。それが超ヒマ社会の働き方・遊び方になるでしょう。

提供する時間やスキルのポートフォリオをどう設計して、どうソーシャルでシェアするか。専門的なスキルを8時間☓5日提供し続ける。1日を4時間+4時間に2種兼業する。8時間を週3日と2日に分ける。5種兼業で毎日仕事を変える。何だってアリです。いや、週1日だけ働いて、残りの日はAIに存分に働かせる、というのがスタンダードかな。

そうなると、AIをマネジメントする能力こそが人のコンテンツ価値になりそうです。

それは使うAIのアルゴリズムとマシンの性能と、学習済みモデルの優秀さに左右されます。自分の配下であるAIアシスタントがどれだけ仕事をしてくれるかです。

稼ぐインセンティブは、よりよいAIを入手するため。素敵な服やゴージャスな食事よりも、いいAIが欲しいわぁ。そして超ヒマ社会のぼくの暇つぶしは、もっぱらわがAIの調教です。かしこくなあれ、かしこくなあれ。そして一刻も早く、ぼくの代わりに稼いでおくれ。

※イラスト:ピョコタン画伯


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2018年2月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。