支那(シナ)は尊称であり、雅語である
支那(シナ)が差別語であるとしばしば、中国側から指摘される。支那(シナ)という言葉は本来、中国という言葉よりも、時間的にも空間的にも広い意味を含んでいる。中国という言葉は一般的に「中華人民共和国」の略称で、1949年、毛沢東によって建国され、今日まで続いている現国家を指すものだ。(元々は孫文の「中華民国」の略称)
一方、支那は各時代の王朝・政権を超えた総称的な意味を持ち、また、各時代の王朝・政権の統治下にあった諸民族をも含む。一部の論者は支那に、チベット人やウイグル人、モンゴル人は含まれないとしているが、そうではない。
時空を超越した「大中国」という意味すら持つ支那という言葉であるが、差別語であるとの指摘を受け、最近、ほとんど使われない。石原慎太郎氏が1999年の東京都知事選の演説で、中国を支那と呼び、問題にされたこともあったが、石原氏は「孫文も支那と言っているのに、なぜ日本人が言うと差別になるのか」と憤り、反論している。
石原氏の言うように、本来、支那に差別や蔑称としての意味合いはなく、むしろ、支那は尊称と言ってもよい。支那は初代王朝の秦を語源とするもので、英語のChina(チャイナ)とも通じるもので、仏典用語では、「思慮深い」という意味を持つ雅語でもある。
中国が嫌がる理由とは
では、なぜ、支那という言葉が差別語と捉えられるのか。中国人の主張によると、支那は戦前、日本人が中国の蔑称として使っていたという。また、中華人民共和国(=中国)という正式名があるにも関わらず、支那という昔の呼称を使うのは、侮蔑の意味が込められているとも主張している。
更には、多くの右派言論人が実際に侮蔑的な意味を込めて、支那と呼んでいることも大きな理由かもしれない。
当アゴラでもお馴染みの八幡和郎氏は「相手の嫌がる呼称をわざわざ使う必要はない」と述べておられるが、私も同感である。
ただ、南シナ海や東シナ海という表記・呼称については、それらを使わざるを得ない。それらの呼び方は我々日本人にとって定着したものである。因みに、中国は南シナ海を「南海」と呼び、東シナ海を「東海」と呼んでいる。
「中華」こそ差別語ではないか
しかし、敢えて中国という呼び名を使うべきではないと主張する識者もいる。彼らは支那が差別語というならば、中国はそれ以上の差別語であると主張する。中華人民共和国の「中華」はいわゆる「中華思想」の「中華」であるからだ。
「華」というのは文明のことであり、漢人は文明の「中」にいる民族、即ち中華であり、周辺の他の民族は文明の「外」にいる夷狄(野蛮人)であるとされる。
このように、中華という言葉には、他民族を侮蔑する意味が背景にあるため、中華を表す中国という呼び方を使用するべきできないと反発する識者がいる。ただ、中国というのは既に定まった国号であるので、どうすることもできないが。
「中華」を国号に
そもそも、中華を国号にするという発想を最初に打ち出したのが、革命家の章炳麟(しょうへいりん)である。1911年の辛亥革命で清王朝が倒れ、1912年、南京において臨時政府が成立。この臨時政府による新国家の国号を何とするか、様々なアイデアが出された。中国の伝説の古代王朝である夏王朝の名をとって「大夏」や「華夏」とするものや「支那」などの案が出たが、最終的には章炳麟が提案した「中華民国」が採用された。臨時大総統となった孫文もこの新しい国号を気に入った。
そして、中華民国の名を引き継ぐ形で、毛沢東らが中華人民共和国という名を考案する。
周辺民族をバカにした書『資治通鑑』
中華という言葉は唐の時代に編纂された歴史書『晋書』などにも使われているが、この言葉を概念として定着させ、一般化させたのは宋王朝の司馬光である。
「中華思想の父」と呼ぶべき司馬光は歴史家であると同時に、宰相にまで登り詰めた大物政治家でもあった。司馬光が編纂した『資治通鑑(しじつがん)』(1084年完成)は全294巻の大歴史書で、編纂のための史局が設置され、宋王朝の全面的援助を受けて完成した。時の皇帝神宗が「為政に資する鑑(かがみ)」と賞して、『資治通鑑』というタイトルになった。
司馬光はこの『資治通鑑』の中で君主と臣下のわきまえるべき分を説く「君臣の別」や、漢人(華)の周辺異民族(夷)に対する優位を説く「華夷の別」を主張。「華夷の別」とともに、文明の「華」の中にいる漢民族が歴史的に果たす使命というのは何かという中華思想が全面的に展開される。
高度な文化を擁する漢人は憐れな周辺蛮族に施しを恵んでやる寛容さも時には必要であるということが記述され、周辺民族をかなりバカにした内容となっている。日本や朝鮮などの東方の国は「東夷」と呼ばれ、周辺の野蛮人の一派に位置付けられている。
南宋時代、朱子学を大成した朱熹は司馬光の『資治通鑑』を称賛し、これをもとに『資治通鑑綱目』を著し、大義名分論を展開して、中華思想が儒学の世界観の中に統合されるに到る。
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宇山 卓栄(うやま たくえい)
著作家。1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。大手予備校にて世界史の講師をつとめ、現在は著作家として活動。『世界史は99%、経済でつくられる』(扶桑社)、『民族で読み解く世界史』(日本実業出版社)などの著書がある。