バッハ会長にノーベル平和賞を?

長谷川 良

ドイツ出身のトーマス・バッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長(64)は韓国入りしてから超多忙の日々だろう。世界から集まる大統領、首相らVIPゲストへの接待から選手村のノロウイルス感染対策まで4年に1度開催されるスポーツの祭典の総責任者だからだ。しかし、今回はそれだけではない。韓国・平昌で開催中の第23回冬季五輪大会を「平和の祭典」として世界に向かってアピールするという野望があるからだ。

▲アイスホッケー女子南北合同チームとバッハ会長(後の中央)=IOC公式サイトから

当方がバッハ会長の隠された野望に気付いたのは、同会長が「五輪閉幕後、訪朝する計画がある」と報道された時だ。韓国の文在寅大統領は金正恩氏の妹、金与正党第1副部長から正式に訪朝要請があった。これは想定内の動きで「やっぱりね」といった以外の驚きはなかったが、バッハ会長の訪朝計画には少々驚いた。そして「何故?」という疑問が直ぐに浮かんできた。

バッハ氏には隠された野望がある。朝鮮半島の分断国、南北の和解への道しるべを築き、ノーベル平和賞を受賞するという目的だ。フアン・アントニオ・サマランチ元IOC会長(任期1980~2001年)が1度、ノーベル平和賞が欲しいと吐露した時、多くの人々の冷笑をかったが、バッハ氏はサマランチ氏が実現できなかった夢を果たそうと密かに考えているのだ。

バッハ氏はドイツ人らしく、その野望を実現するために緻密な計画を立てている。平昌五輪大会でアイスホッケー女子の南北合同チームを即製。南北合同チームの初戦、対スイス戦(10日)には文大統領、北朝鮮の金永南最高人民会議常任委員長、金与正党第1副部長らと共に観戦する写真が配信された。試合の結果は南北合同チームが0対8の大差で敗北を喫した。敗北自体は何も驚かない。実力の差だからだ。

驚いたことは、スイスとの対戦で自分たちの無力さを肌で感じた南北合同チームが試合後、打ち沈んでいた時、バッハ会長が現れ、「元気を出しなさい。あなた方が南北合同チームで戦うこと自体が凄い成果だ」と慰めたことだ。

IOC会長が敗北したチームを訪れ、よくやったと励ましの言葉をかけることはめったにない。そもそも、五輪開催直前、南北合同チームを即製すること自体、無謀な試みだった。カナダ人監督のもとで何年間も練習を重ねてきた韓国女子チームの選手たちにとって、五輪開催直前、北の選手と合同チームを編成すると言われた時、どのように感じただろうか。スポーツの世界では考えられないことだ。
そうだ。スポーツの世界では考えられないことが、平昌五輪大会で堂々と行われたのだ。全て、南北の一体化という平和ムードを世界に発信するためだ。バッハ会長は12日、韓国聯合ニュースとのインタビューで、「五輪史上初の韓国と北朝鮮の合同チームは歴史的な試合を行った」と賛美している。

今、明らかになったことだが、バッハ氏らは1月20日、スイスのローザンヌのIOC本部で南北の代表を招いて合同チームの編成などを話し合った。その場でバッハ会長の五輪閉幕後の訪朝計画が南北両国代表の承認を受けたというのだ。

IOCは12日、バッハ会長が五輪終了後、北を訪問する計画だとロイター通信にリークした。そしてロイター通信の速報は世界に流れた。ここまではバッハ会長の計画通り運んだわけだ。
ただし、バッハ会長はいつ訪朝するのか、その日程は文大統領のそれと同様、不明だ。「適切な時期を北朝鮮と調整している」という。日米から対北制裁の圧力を継続すべきだと説得されている文大統領よりバッハ氏の訪朝の方が早く実現するかもしれない。

ところで、聯合ニュースは13日、「アイスホッケー女子の南北合同チームがノーベル平和賞を受賞すべきだ」と述べた米国のIOC委員の発言を報じ、「IOCとしては考えていない」というアダムス広報部長のコメントを紹介していた。

一方、独週刊誌シュピーゲル(電子版)は12日、バッハ会長がノーベル平和賞を密かに狙っている、ともう少し突っ込んで報じていた。

バッハ会長が「ノーベル平和賞を受賞できるチャンスがある」と考えても不思議ではない。平昌冬季五輪大会はその絶好のチャンスを提供しているからだ。ホスト国・韓国の文大統領も五輪を南北の対話の機会と考えてきた政治家だ。
スポーツの祭典がこれほどホスト国、IOCによって政治利用された五輪大会は平昌五輪大会しかないだろう。ヒトラーは1936年のベルリン五輪大会を政治覇権をアピールする機会に利用したが、バッハ会長と文大統領は南北の平和ムードを高める舞台として五輪を利用している。

もちろん、バッハ会長と文大統領2人が奮闘しても北側がそれに応じなければ成功しないが、核実験、大陸間弾道ミサイル発射で国際社会から制裁下にある北側は今、息抜きが必要な時だ。だから、金正恩氏は自身の最側近である金与正氏を特使として韓国に派遣するなど、平和ムードを高めるために共演しているのだ。

バッハ氏は前回のソチ冬季五輪大会ではロシアのプーチン大統領を持ち上げ、ウクライナのクリミア半島併合問題について批判の一言も吐かず、沈黙したが、平昌冬季大会では平和ムードを高める“天使”役を演じているのだ。

この程度の外交努力でノーベル平和賞は獲得できるだろうか、という疑問を抱く読者もいるだろう。長い間、厳しい状況下で活躍している無政府機関(NGO)の人権活動家は世界に少なくない。しかし、彼らの名前がノーベル平和賞の候補リストに上がるのは大変だが、国連や国際機関のトップの場合はそうではないのだ。

一つ実例を挙げる。国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長が2005年、ノーベル平和賞を受賞した。事務局長は連日、CNNなど世界のメディアとインタビューし、顔を世界に売った。事務局長が“世界の核の平和実現の立役者”だというイメージが完全に定着した時、事務局長のノーベル平和賞受賞のニュースが流れてきた。
エルバラダイ氏の3期12年間の事務局長時代の評価について、「国連機関の事務局長でエルバラダイ事務局長ほど多数のインタビューをこなした人物はいない。平和賞の受賞はインタビューによって蓄積された知名度による点が大きい。一方、核拡散防止への努力といっても目に見える成果は乏しい」といった冷静な分析が専門家の間では支配的だった(「エルバラダイ氏の功罪」2009年11月27日参考)。

テーマに戻る。バッハ会長の野望が実現するか否かは、共演者の北側の出方次第だろう。訪朝が実現し、金正恩氏と会談し、そこで朝鮮半島の南北再統一の話でも出てきたら、ノーベル平和賞は近づくかもしれない。
ちなみに、金与正氏は10日、文大統領主催の夕食会で、「大統領が統一の新たな扉を開く主役になり、後世に残る跡をとどめることを望む」(聯合ニュース)と囁きかけ、文大統領の野心に火をつけることを忘れていなかった。金与正氏はバッハ氏に対しても同じように囁きかけたのではないか。

いずれにしても、金正恩氏はラッキーだ。文大統領のほか、バッハ会長という共演者を得て、その平和攻勢は一層効果的となってきたからだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年2月14日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。