成年後見事務等を銀行に解禁してはどうか?

荘司 雅彦

弁護士、司法書士等が就任した成年後見人が、成年被後見人の財産を横領する事件が後を絶たない。

日弁連は、成年後見業務を一切行わない会員の会費を使って、成年後見業務の被害者に見舞金を支払う基金の設立を決定した。

そもそも、親族等のなり手のない成年後見業務を、いわいる「士業」に独占させる意味はないのではないかと私は考えている。

成年後見人の仕事は、判断能力の衰えた高齢者や精神障害者に代わって法律行為や日常の事務を行うことだ。つまり、通常の判断能力を有する自然人と同レベルの行為が円滑にできればいいだけのことだ。

このように、成年後見人は通常の判断能力を有する自然人と同じ能力を持っていればいいのであって、(親族等のなり手がない場合に)必ずしも法律の専門家等が就任する必要はない。

現に、成年被後見人と親しい親族等が成年後見人として後見事務に携わる例は少なくない。弁護士等が成年後見人に選任されるのは、その社会的信用力が背景にあると考えられる。

ところが、弁護士等による成年被後見人の財産の横領事件が多発し、弁護士会による懲戒処分もうなぎのぼりになっている。

一部の不心得者の行為をあげつらって「成年後見事務を行う弁護士等は信用できない」などと言うつもりはないが、個々の弁護士より組織としての銀行のほうが信用力という点でははるかに勝っていると私は思う。

あくまで私の銀行員としての経験だが、常時金銭を扱っていると、仕事として扱う札束もはや単なる商品に過ぎなく思えてくる。

一千万円の束を作るために出納の女性行員が机の上でバンバンと音を立てて札束を束ねている姿を見ると、到底自分の財布の中にある一万円札とは別物のように感じたものだ。

他の同僚等も同じような感想を抱いていたので、多くの銀行員にとって概ね共通した認識だろう。

このように、仕事上のお金と自分のお金を無意識的に区別できる銀行員が多いのは事実である。

預り金を自分名義の口座に平気で入れてしまう弁護士等とは意識からして異なる。

また、現金管理に関する銀行のシステムは極めて厳重にできており(ダブルチェックやトリプルチェックがある)、よほど巧妙に仕込まない限り横領等の犯罪行為ができないようになっている。

たまに巧妙な犯罪が露見するが、それは例外中の例外だ。

私個人の周囲を見渡しても、同期の弁護士等の横領事件の噂は何度か耳にしたが、銀行員時代の同期や知人が犯罪に手を染めたという事例は一度も耳にしたことはない。

銀行、とりわけ地方銀行は、低金利の影響で厳しい経営環境に置かれている。

近い将来、技術進歩によって送金等の手数料収入も枯渇していく恐れがある。合併や再編をしても、市場全体が縮小しているので、一時しのぎの対処療法で終わるだろう。

そこで考えたのが、成年後見事務のような「信用力」が必要とされる業務の解禁だ。

成年後見人は法人でもなれるので(利益相反にならない)銀行が就任すればいい。

事務的な業務に関しては複数のマンパワーを利用できる銀行の方が圧倒的に優れているし、日常的な業務も外回りの営業担当者に委ねればいい。

さしてコストもかからず、相応の報酬が得られる成年後見事務は、とりわけ地方銀行にとって有望なビジネスチャンスではないだろうか?

弁護士や司法書士業界にとっては、犯罪の温床として悩ましい業務を手放すことができるし(その分会費を安くできる)、地方銀行にとってはノーリスクで安定的な収入が見込める。

浅学非才の思いつきと言われればそれまでだが、関係者全てにとって利益になるのではないかと、ふと思いついた。

銀行関係者の方々のご意見をいただければ幸いだ。

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荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年2月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。