“メガネ先輩”の朝日記事を巡るネトウヨの勘違い

新田 哲史

平昌オリンピックがまもなく閉会式を迎えるが、朝日新聞デジタルで先日掲載された女子カーリングの日韓戦を巡る記事が、「韓国寄りではないか」とネトウヨたちの間で炎上しているようだ。


しかし、これはネットでしか新聞記事を読まなくなった世代ならではの「勘違い」がありそうなので、全国紙の元運動部記者として一言指摘しておく。

ネット時代になり、記事をバラ売りするようになったので、一つの記事だけを見て視点の違いを論じるのは「木を見て森を見ず」になりがちだ。だから新聞のスポーツ記事は、勝者サイドと敗者サイドにそれぞれ視点を書き分けることが通例であることを知らないと、つい一面的な誤解をしてしまう。話題の記事自体は視点がやや交錯気味で、うまいとはいえないものの、純粋に勝敗ということで考えると、勝者である韓国側に重きを置いた「戦評」だといえる。

では、ネトウヨが思い浮かべそうな「朝日は“韓国寄り”だから日本女子の記事を書いていないのか」というと、同じ試合で日本サイドに視点を置いた戦評コラムがある。

終盤まさか、食らいつく カーリング女子、3位決定戦へ:朝日新聞デジタル

こちらの記事の文字数は697文字。一方、冒頭の“韓国寄り”とされる記事は661文字で、むしろ日本側視点の記事のほうがわずかに上回る。紙の朝日新聞を購読してないので、経験則からの想像だが、おそらく両記事とも紙面に掲載されているのであれば、書き分けているのではないか。

日本の新聞のオリンピック報道は、日本代表が絡んだ試合は、敗戦した場合でも、概して純粋なスポーツの実力差のわりに大きめに取り上げられるもので、その相場からすれば確かに韓国視点の記事の分量がちょっと多い気もするが、今回は韓国が勝利した上に、メダルの可能性をかけた隣国のライバル同士の白熱した試合結果だったということもあり、なおかつ韓国側に日本のネット民の間でも人気者になった“メガネ先輩”がいるという話題性もあるのだから、バランスを取っただけではないか。

なんだかバズフィードあたりが書きそうなエントリーになってしまったが、これは朝日新聞をかばって本稿を書いたものではない。朝日新聞の韓国に甘すぎる“リベラル”論調に対して筆者が批判的なスタンスに変わりはない。なんてったって昨年夏にその名も『朝日新聞がなくなる日』(ワニブックス)という本を出しているくらいだ。けさの朝刊でも、蓮舫問題のリベンジとばかり国籍問題を巡る提訴の動きを(なぜか)特ダネで報じるあたり、相変わらずだな、またアゴラがきっちりと問題提起していく出番だなと思う(というわけで国籍問題の記事は八幡さんのコラムをどうぞ)。

とはいえ、だ。朝日新聞の論調に困ったものが多いのは確かだが、批判をするにもまず前提となるファクトやメディアの作法的なものをベースにした上で正確に建設的に行わねばなるまい。今回の騒動は大したものではないが、紙の新聞が読まれなくなり、先述したような記事の断片売りの実情を踏まえない誤解に基づいた議論が横行すると、それもまたフェイクニュースの伝播につながってしまうリスクがあるのだと、読者もメディア関係者も改めて戒めたいところだ。

ただ、こういう誤解が生まれるほど、朝日新聞のことを厳しく見ている人が多いということでもある。

朝日新聞がなくなる日 - “反権力ごっこ"とフェイクニュース -
新田 哲史:宇佐美 典也
ワニブックス
2017-08-28