過剰なお客様意識を捨てることが日本人を幸せにする --- 菊地 有紀子

寄稿

かつて東京オリンピック誘致のプレゼンの場で、ある女性キャスターが放った「おもてなし」という言葉が流行したことがある。心を込めたおもてなしでお客様を迎える。これこそが日本の世界に誇れる文化である、と。

確かに日本ではスーパー、コンビニなどの小売店はもちろん、はては銀行まで、一歩中に入れば「いらっしゃいませ」の大号令。帰る時はまたまた「ありがとうございました。またおこし下さいませ」の言葉を浴びせられ、丁寧におじぎをされて見送られたりする。一方、客の側は大抵無言で無表情。いちいち反応したりしない。よく海外の例を出し日本人も店員にニコッと笑い返すべきだなどという意見を見ることがあるが、日本にとって本当に大切なのはそういうことではないと思う。

日本はサービスが過剰過ぎるのだ。お客様という立場の人に、働く側は奴隷のように仕えなければいけない。それがまるで空気のごとく当たり前の価値観になっている。自分の働くコールセンターでもその意識は絶対的なものだ。オペレーターはどんな場合でもこちらから電話を切ることは許されない。どれだけ理不尽なことを言われても言い返すことなどできるわけがなく、じっと耐えるしかない。それは感情を持つ人間であることを否定されているのに等しい。お客様には何も言い返してはいけない。優先されるのはどんな場合でもお客様。日本人が当たり前と思っているこの概念がどれほど働く側を疲弊させていることか。

日本人に必要なのはいい意味で妥協することだ。日本人はいったん自分が客の立場になると相手に完璧を求める。何でも知っていて当たり前。少しのミスも許さない。自分を少しでも不快な気持にさせたらダメ。自分が不快と感じたら怒鳴ってもいい。なぜなら自分はお客様だから。相手が自分の思い通りの対応をしないと、すぐにクレームを言うという行動に出る。

スーパーの入口などに、よく「お客様の声」という用紙が貼り出されている。あれを読んでみるとよくわかる。匿名をいいことに、いかに手前勝手なことを書いている人間の多いことか。「こういう商品を入れてほしい」などという正統な要望はいいとして、大抵は「あの店員は感じが悪い、すれ違った時に挨拶がなかった、言い方が気に入らない」などという類の苦情ばかりだ。私の近所のスーパーでは三回名指しでクレームが来た店員は、本部に呼び出され厳重注意を受けるのだそうだ。それでは名札を付けて客の対応をする店員は、いつどんな時も気が抜けない大変なストレスの中で働かなくてはいけないだろう。

相手も人間なのだ。質問に答えられないこともあるし、たまたま無愛想に見えることもあるだろう。何億円の商品を買っているわけでもないのに、店の人にそんなに完璧を求めなくてもいいではないか。そういう自分も、時々店員さんに小さなことでついムッとしてしまうことがある。そんな時は都度自分を諌めている。相手に求め過ぎてはいけない。どうしても嫌だと思うならもうその店には行かなければいい。ただそれだけのこと。わざわざ一生懸命働いている相手をつかまえて文句をいうほどのことではない。

「クレームは有り難い。黙って来なくなられるのが一番困る」などということが昔からよく言われるが、もうそんな時代ではない。はっきり言おう。良質なクレームなど存在しない。大抵はただの主観的な苦情に過ぎない。悪質なクレーマーなどは相手にせず、さっさと手放した方が企業にとっては有益なはずだ。

できないことはできないと毅然とした態度を取ればいい。大体世の中は何でも思い通りにはならない。自分中心には回らない。それは客の立場になっても同じこと。それなのに異常なクレーマーと呼ばれる人たちにはそれがわからない。俺様私様だけが大事。現在の日本はこんな人間が増え続けている。日々現場の最先端で客の対応をしている自分にはそのことがはっきりとわかるのだ。

日本人が誇るおもてなしの概念も、過去のある時期まではよかったかもしれない。しかし今は明らかに日本人の質が変わってきている。お金を出し渋り、一円でも安く済ませたい。暴言を吐いてタダになれば儲けもの。自分さえよければいい、と考える人が多くなっている。もう牧歌的な時代は過ぎ去ったのだ。

それなのに企業側だけがいつまでもお客様第一主義を取り続け、現場に負担を強いている。もう消費者を守る時代ではない。消費者は既に弱者ではない。今後は働く側を異常な客から守らなくてはいけない。「お客様のために」「お客様のことを第一に」そんな手垢の付いた上っ面だけの宣伝文句にはうんざりだ。会社は利益追従が必要なのだから、お客様の満足第一なんて所詮無理な事。

もうこんな建前のきれいごとばかり言うのはやめないか。日本人よ、もっといい意味でドライになろう。大人になろう。少子化でどんどん働く人間が減り続けているこの時代に、一体いつまでできもしない理想を現場に押し付けるのか。

常識を逸脱した人間にはいくら客であろうと対応しない。その意識をサービス側が当たり前のこととして持つ。現場の人間にもその権限を与える。それくらいで日本のサービスはちょうどいい。もともとが過剰なのだから。このような意識付けが日本の労働者の未来を変えていくはずだ。

菊地 有紀子 コールセンター運営会社勤務
コールセンターの一般オペレーターとして日々電話対応に勤しむ。感情労働といわれる職に就く人が少しでも働きやすい社会にしていくため、コールセンターの実態を世の中に訴える。