1904年、日露戦争の開戦後、中立国スウェーデンに本拠地を移したロシア駐在武官、明石元二郎大佐(当時)はレーニンを包摂して帝政ロシアに送り込み、ストライキやサボタージュなどの工作活動を通して厭戦雰囲気を増大させ、日露戦争を勝利に導いた。
当時、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世は「明石大佐は1人で日本軍20万人に匹敵する戦果を上げた」と賞賛した。
最近、スリーパーセルが話題になっている。インテリジェンス(諜報)の世界では潜伏細胞組織員と言われている。現地人に成りすました工作員だから情報学では彼らをBlackとも呼んでいる。
97年、韓国に亡命した北朝鮮の高官、黄長燁氏は「韓国に5万人の北工作員がいる」と発言した。しかし、筆者は大部分が工作員に包摂された協力者や左翼•労働組合員で、それを含めて約4万人くらいだろうと考えている。
日本の場合は、辛光洙(シン・グァンス)が代表的なスリーパーセルだった。
彼は日本人を拉致し、そのパスポートで韓国に入国し、工作活動中に逮捕された。筆者は現在も、日本国内には第2の辛光洙みたいなスリーパーセル工作員に包摂された協力者が約200人ほど潜伏している可能性を否定出来ない。
韓国のスリーパーセルの逮捕事例は96年、アラブ人に成りすましたムハンマド・カンス教授が代表的だ。彼は10年間、大学教授として活動したが北朝鮮スパイ(鄭守一)であることが発覚した。
90年代最大のスパイ事件の主犯格、李善実は、自身は北に帰還して摘発は免れたものの、地下党組織と関連し国家保安法違反で62人が逮捕された。李善実は韓国に親北政党を構築する任務を帯びて日本に浸透した後、80年に在日の申順女に成り済まして韓国に入国した。90年のドイツ統一後、西ドイツには東ドイツのスパイが3万人も潜伏していた前例がある。75年、赤化統一された南ベトナムでも北ベトナム工作員2万人が潜伏・暗躍していた先例がある。
最近では昨年2月、金正男氏がクアラルンプール空港で毒殺されたが、当時、協力者として逮捕された李正哲という北朝鮮人は現地製薬会社の社員に成り済まして暗躍したスリーパーセルである事が分かる。
現在、韓国の文在寅政権にも北朝鮮に従う左翼・左派が要職に居座っている。
日本も平和ボケだが韓国も“平和ボケ”であることが分かる。有事の際に備えてスリーパーセルに対するスパイ防止法制の整備が求められている。
(拓殖大学客員研究員、韓国統一振興院専任教授、元国防省専門委員・北韓分析官)
※本稿は3月8日、『世界日報』に掲載したコラムを筆者が加筆したものです。