これまでとは明らかにベクトルの違う問題によって「森友学園問題」が再燃している。この中身についての事実関係は今後さらに明らかになっていくだろう。
しかし、問題の本質は国有地に対する行政裁量の在り方ではないだろうか。
国有地には二つの種類がある。一つは、国が行政の用に供するために所有していて売払い等の処分を行うことができない「行政財産」と、行政財産以外の「普通財産」である。
端的に言うと普通財産とは国の行政目的上不用となったものであり、収益財産として積極的に管理・処分されるべき財産である。
その普通財産の利活用の「方法」が今まさに過渡期にある。これまでその利活用が様々な規制により制限されていたものを、より柔軟に対応しようとする方針を国が打ち出している。財務省によると、
未利用国有地については、これまで原則売却を優先するとの管理処分方針を採ってきましたが、個々の土地の特性に応じた多様な手段を選択できるように、管理処分方針を見直し、売却に加えて、定期借地権を利用した新規の貸付や交換等により最適な活用手段を選択できるようにしました。
としている(※財務省HP「未利用国有地の売却等手続き・暫定活用(一時貸付・事業用定期借地)の基本方針」より引用)。
未利用国有地の管理処分手法の多様化について、時代に合わせた変化が必要なのは言うまでもないし、その利活用に公益性と汎用性を高めることで国民生活の向上に少しでも資することが望まれるのは当然だ。
しかし、財務省は自らに課したその管理処分手法の多様化の方針に「寄り添い過ぎた」のではないだろうか。
公益性と汎用性に重点を置くあまり、行政裁量は拡大していなかっただろうか。
森友学園問題は、そこに「国有地処分に係る行政裁量権の逸脱・濫用があったか否か」が主体として問われるべきだった。そして、政治介入による「権力の濫用」とは切り離して論じられるべきだった。問題追及の結果として政局が生まれるなら歓迎すべきだが、野党側の政局ありきの追及姿勢が、問題の本質を変えてしまった気がしてならない。
今回、行政文書の書き換えが明確になればこれは重大な刑事事件になる可能性があるとともに、行政への信頼が根底から揺るがされる歴史的な大事件となるだろう。しかし、それとは別次元の問題として国有地処分の在り方を「行政裁量の適正化」の観点から見直さなければ同様の事案が今後も生み出されてしまう可能性があることを忘れてはならない。