朝日新聞が槍玉にあげる内閣人事局潰しで官僚主導が復活する

新田 哲史

内閣人事局発足時の安倍首相(首相官邸サイトより)

先にいっておくが、私は安倍政権を擁護したいから本稿を書いたのではない。その前置きをした上でお読みいただきたいが、財務省の決裁文書改ざん問題の火付け役となった朝日新聞の数日前の記事が非常に気になった。今回の問題の主な構造要因として内閣人事局をターゲットにしているのだ。

官僚の忖度、背景に内閣人事局 異を唱えれば「クビ…」(朝日新聞デジタル)

あらためて触れておくと、内閣人事局制度とは、第2次安倍政権が発足してから1年半後の2014年5月に内閣官房に設置。各省庁の主要幹部の人事を官邸が決めることで「政治主導」実現を狙ったものだった。朝日新聞は、今後、内閣人事局制度の見直し論に向けたキャンペーンを強めてくるのが容易に予想されるが、ときの政権が規制改革のように行政の縄張り(利権)に影響を及ぼすような施策を実現するには官僚の抵抗を排する必要はあった。

真の政治主導実現は、「失われた20年」の間も永田町で常に模索されてきた。今回の財務省の問題を機に野党も朝日新聞と一緒に内閣人事局を槍玉にあげてくるのだろうが、彼らの一部が一度は天下を取った民主党政権時代も、当初は国家戦略局の設置により、予算編成権を官僚から奪うことも構想していた(出典:当時の公文書)。しかし、それが頓挫したのは、民主党の稚拙な青写真のせいもあるが、やはり霞が関の猛烈な抵抗も大きかった経緯が指摘されている。

その点、わざわざ予算編成権を奪うような「大仕掛け」をこしらえずとも、人事権をフルに使って同等以上のリーダーシップを目指す内閣人事局構想は「静かな革命」だった。組織マネジメントの要諦が人事権であることは官民問わず常識で、池田信夫も以前述べたように「戦略が組織に従う」風土の日本ではなおさら有効だった。内閣人事局は、歴代の政権の失敗の積み重ねの末に結実した政治主導の装置だといってもよい。

実は、私は朝日新聞が3月2日に第一報を載せた直後、自民党議員の一人から、財務省の問題の要因として内閣人事局の統制を強めすぎた弊害について聞かされていた。すでに元経産官僚である宇佐美典也くんも見直しの必要性を提起しているが、財務省の問題がひと段落した後に、自民党内からもなんらかの意見が出てくる可能性がある。

もちろん、筆者も統制を強めすぎることによる「恐怖政治」が遠因であったことは否定しない。一程度の見直しは必要であろう。しかし、新しい制度を取り入れると、なんらかのトレードオフは付き物だ。「財務省の文書改ざん問題」という現下の事象に目を奪われるあまり、官僚統制に試行錯誤してきた過去四半世紀の政治の歴史を忘れてはなるまい。

真の政治主導は、省庁間の枠組みを超える意思決定でこそ発揮される」。民主党政権のある省の副大臣だった人が昔、私にこんな指摘をしていたことがある。「コンクリートから人へ」を掲げた民主党政権では、その是非は別にして政治理念どおり、文部科学省の予算額が国土交通省を初めて上回ることを実現した。安倍政権もいま、新聞・テレビ各社から袋叩きにされそうな電波制度改革を目指しているが、これも民主党政権時代には閣議決定をひっくり返されたことがあるほど、総務省の抵抗が強い。今後も厚労省の解体再編といった課題も出てくるだろうが、いずれも省庁間の枠組みを超えるような規模の意思決定、つまり政治の力強いリーダーシップが必要な大型案件ばかりだ。

日本社会は「功罪」を冷静に分けて議論することが得意ではないので、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」とばかりに「安倍憎けりゃ内閣人事局まで憎い」という論調が跋扈し、朝日新聞のあおりで倍加される事態になりはしまいか。槍玉にされた内閣人事局が、安倍首相退陣後にも廃止され、官僚主導が復活する可能性を憂慮している。

この問題については今週22日(木)に出演するTOKYO MX「モーニングCROSS」のオピニオンCROSSで取り上げるテーマの第1候補で検討している。