人生は運で決まる:『ダーウィン・エコノミー』

ロバート・H・フランク
日本経済新聞出版社
★★★★★



人生が運に左右されることは多い。あなたが就職の面接で失敗していたら、今の会社には入れなかったかもしれない。デートのときケンカ別れしたら、今の妻(夫)と結婚していなかったかもしれない。何よりあなたの生命は、受精のとき1億以上の精子の中から選ばれた幸運だ。こういう初期条件はやりなおし不可能なので、それを前提にして人生を最適化するしかない。

運が非科学的だと思うのは、科学を必然的な「法則」の同義語と考える19世紀的な発想だ。量子力学では、素粒子の状態は確率的にしか決まらない。生物学でも、カタツムリの殻が右巻きか左巻きかをアプリオリに決める法則はないが、他のカタツムリがすべて右巻きだと、左巻きの個体は生殖できない。

ニュートンの同時代人だったアダム・スミスは、古典物理学をモデルにして経済学を構想した。ニュートン力学の重要な結論は、世界には唯一の均衡状態(力学的平衡)が存在するということだが、これはその初期条件から導かれる。

重力の加速度gが世界中で同じ値(地表で9.8)をとると、運動方程式によって唯一の均衡状態が導かれるが、その初期条件の必然性は証明できない。つまり初期条件が複数あると均衡状態も複数ある。たとえばgが20だったら別の均衡状態が存在するが、地球は存在しない。重力が大きすぎて、地球が太陽のまわりを公転できないからだ。

いま経済学者に「経済学の元祖は誰か?」と質問したら、99%がアダム・スミスと答えるだろうが、著者は100年後の経済学者が同じ質問を受けたら、過半数がチャールズ・ダーウィンと答えるだろうという。それはスミスの「見えざる手」が機能する状況は、ダーウィンの進化論の特殊な場合(均衡状態が一つに決まる)だからである。

ニュートンの宇宙と違って社会には無数の異なる初期条件があるので、そこから出てくる均衡状態も無数にありうるが、現実に存在するのはそのごく一部だ。大進化(突然変異)と小進化(淘汰)によって、環境に適応できる個人や企業だけが残るからだ。初期条件を決める「大きな決断」を資本家がやり、その後の「小さな最適化」を労働者がやるのが資本主義である。

日本の会社のような労働者管理企業が成功する例は少ないが、資本家が経営する自営業が大きく成長することも少ない。多くの試行錯誤の中から初期条件を選び、経営者が大きなリスクを取って多くの労働者を雇う企業が成功する。

こういう社会で生存する企業の経営者は有能だが、有能な人がすべて成功するとは限らない。人生の大部分は偶然で決まるので、運の悪い人は能力があっても成功しない。したがって政府が最低所得を保障すべきだ、というのが著者のようなリベラルの主張である。彼の提案する累進消費税は検討に値する。