「本能寺の変」のあと光秀が室町幕府再興に成功していたら

尾藤 克之

明智光秀像(本徳寺所蔵:Wikipediaより:編集部)

『戦国BASARA』のヒット以降、歴史ブームが到来している。武将がイケメンで史実の要素を取り入れていることがポイントだ。しかし、次のように感じたことはないか。「日本」は世界の一部なのに、なぜ「日本史」は、日本のことしか教えないのか。世界史とつなげてみることで「日本」の存在意義、強みまで見えてくる。

今回、紹介するのは『世界史とつなげて学べ 超日本史 日本人を覚醒させる教科書が教えない歴史』(KADOKAWA)。著者は、大手予備校で世界史の教鞭ををとる茂木誠さん。グローバル時代に知るべき新しい「大人の教養」について理解することができる。

写真は茂木さん(N予備校HP)

織田信長の存在が計画を狂わせた

16世紀はスペインの世紀と呼ばれた。イスラム教徒との戦いに勝利したイサベル女王は、カトリックの布教とアジアの香辛料入手のため、コロンブスの航海を支援した。

「実利中心だったポルトガルに対し、スペインの新大陸征服は、カトリックを世界へ広める『聖戦』(異教徒の蛮族を救済する名目)として行なわれました。鉄砲と大砲で武装したエルナン・コルテス、ピサロらスペイン人征服者たちが、石器の弓矢と槍しかもたないアステカ文明、インカ文明を滅ぼします。」(茂木さん)

「新大陸の先住民を奴隷化して採掘した莫大な量のアメリカ銀はスペインの財政を支え、新たな征服戦争を可能にしました。南米を周回して太平洋を横断したフェルディナンド・マゼランの艦隊は、中国近海の島々に流れ着きました。マゼランは王太子フェリペの名にちなんで、その地をフィリピンと名づけます。」(同)

スペイン人はカトリック改宗を強制し、従わぬ者を殺害する。弓矢しかなかったフィリピン諸島は、最終的にスペインの圧倒的な火力の前に屈することになった。

「フェリペ2世が次に狙ったのは、いまだスペインの支配下に入らないオスマン帝国、中国、日本でした。しかしオスマン帝国はヨーロッパに先駆けて大砲を配備した軍事大国、中国も巨大な人口を擁し、征服は困難と思われました。では、日本はどうか?イエズス会がもたらした情報は、日本がすでに鉄砲が普及した重武装の大国であること。しかし、絶え間ない内戦によって国王の権威が失墜しているというものでした。」(茂木さん)

「そこで、日本人の領主(大名)をカトリックに改宗させてスペイン国王に忠誠を誓わせ、スペインの尖兵として利用することを考えます。イエズス会の働きかけにより、九州にキリシタン大名が出現したのは、この計画の一端でした。織田信長の登場は、この計画を狂わせました。日本を統一しようという強大な『王』が出現したのです。」(同)

九州が「フィリピン化」する

信長は、石山本願寺や一向一揆、延暦寺などの仏教勢力と戦いを続けていた。火薬の原料である硝石を必要としていることを知った巡察使ヴァリニャーノは、安土城で信長に謁見する。仏教嫌いの信長をカトリックに改宗させることが目的だった。

「信長はあらゆる宗教を超越し、彼自身を神と崇拝させようとしていたのです。当時、中国地方の雄である毛利家の攻略を秀吉に任せていましたが、援軍を求める秀吉の書状を見て安土城を出発、少数の護衛とともに京の本能寺に宿泊しました。明智光秀の軍勢は途中、進路を変更して京に入り本能寺を囲みます。」(茂木さん)

「信長は抗戦むなしく自害し、本能寺は炎上しました。本能寺の隣にはイエズス会が建てた南蛮寺があり、光秀の娘の細川ガラシャは受洗してキリンタンとなります。イエズス会と光秀とのあいだには、何らかの謀議が成立していた可能性もあるでしょう。」(同)

少なくともイエズス会が本能寺の変を歓迎したことは間違いない。近年、発見された光秀から紀伊国の雑賀衆に宛てた書簡には次の記録がある。それは、毛利氏にかくまわれている足利義昭を京都に戻し、室町幕府を再興するというものだった。

「信長の死を知った秀吉は毛利と和睦します。山崎の戦いで敗れた光秀は敗走途中、残党狩りの農民によって殺されます。本能寺の変のあと、仮に明智光秀が室町幕府再興に成功していれば、中国・九州地方の群雄割拠が長く続いたでしょう。」(茂木さん)

「そのあいだにキリシタン大名がスペインと同盟を結ぶことで、九州が『フィリピン化』する可能性も十分にあったのではないでしょうか。」(同)

茂木さんは、長年の受験指導の実績をいかして、授業録音、授業ノート、論述対策など、世界史の教材をHPで公開している。歴史上の人物になりきって語る授業は、あらゆる受講生を引きつけ、「世界史が面白くなった」「大学でもっと勉強したくなった」と支持を得ている。本書では一端を垣間見ることができる。

尾藤克之
コラムニスト