「五月病」克服のカギはアンパンマンとDIY

高部 大問

ゴールデンウィークが終わった。 4月からスタートした新たな環境に馴染めない方にとっては、五月病に悩まされる時期だろう。

私は大学の事務職員だが、4月に新入生を受け入れた側からしても、五月病によって大学生に通学を拒まれることは頭を悩まされる。

五月病とは通称であり、医学的には「適応障害」や「うつ状態」等が該当するようだが、散見される情報は本人に関する原因と対策が大半である。たとえば、「(本人が)完璧主義すぎたり真面目すぎる特徴があるため、できるだけ休養を取り、ストレス発散をしましょう」等である。確かに、そうなのである。

しかし、大学で勤務していて感じるのは、新入生(以下、コドモと表記)を受け入れた側(以下、オトナと表記)にも原因がある、という実態だ。普段はあまり発信されることがなく、目にする機会も然程多くはないが、本人に関する原因や対策の情報だけでは、あたかも本人のみが悪いという印象を受けるため、オトナについてもフェアに言及しておきたい。

4月に受け入れたコドモが1か月で通わなくなるということは、少なくとも、「通い続けるだけのイイコト」がその場には無いと判断された結果と言える。大学で言えば、目の覚めるような講義や、是非この人から学びたいと思う教職員や、気の合う友人、居心地の良いサークルやお洒落な食堂等、オトナが提供する「ヒッカカリ」の何れにも引っ掛からず、それらを無価値認定し、或いは見向きすることもなく、コドモは遠退いていくのだ。そして、5月以降も通うべき理由を見出せぬまま、ついに二度とリピーターになることはなくない。

私は事務職員であり、教員の講義やサークルに言及するのは領土侵害であるが、事務職員なら事務職員なりに、たとえその役割が黒子的ミッションだったとしても、コドモに「5月以降も通い続けたい」と思わせる努力をしたのかは、自らメスを入れなければならないだろう。たとえば、リピーター獲得に強いディズニーランドにおける清掃担当キャストは、写真撮影や道案内も行い、雨の日には水たまりの水で絵も描く。カストーディアルと呼ばれる彼らの仕事は、掃除ではなくショーなのである。

もちろん、事務職員が明日から急にショーを行うことは難しい。カストーディアルキャストの時給はアトラクションキャストやショーキャストのそれらより高額(全30職種中16位)であり、専用の研修もあるように、報酬や教育ともセットでこそなし得る業だろう。ただ、報酬が先か仕事が先かの鶏と卵の議論を待たずして、仕事観は伝播してしまうのも事実である。事務的な事柄だからと言って事務的に伝えねばならないという決まりはない。ユーモアや工夫を交えても良いはずで、そこに人間の自由裁量は幾許かは残されているだろう。だが、オトナが「仕事は仕方なくする事」という仕事観でもって事に当たれば、それを見たコドモは「そういうものだ」と認識するだろう。少なくとも、夢の国ほど心躍ることはない。そんなオトナのいる組織に対して帰属意識は生まれず、エンゲージメントも高まらない。

では、何をすればよいのか。オトナにできる5月病の予防策や対応策に魔法はないだろうが、仕事観が伝播することを鑑みれば、DIY(Do It Yourself=やってみなはれ)は必須であろう。オトナは往々にして言うだけで自ら率先垂範しない有言不実行の生き物である。「勉強しなさい」「本を読みなさい」「バランス良く食べなさい」等は頻出ワードだろう。これらを言うだけなく実行するオトナがいるだけで、帰属意識は芽生える。

コドモはオトナの背中を見て育つものだ。オトナが自ら実行すれば、「背中は口ほどに物を言う」のである。なにも全ての実行が成功する必要はない。挑戦すれば失敗はつきもので、そんなことはコドモも十二分に分かっている。コドモが気に入らないのは、オトナの失敗が見えてしまうことではなく、言うだけで何も挑戦しないオトナの弱腰で自分勝手なスタンスが見えてしまうことである。オリンピック等で活躍するアスリートに感動する子どもたちは少なくないが、アスリートの試合中の表情は必ずしも清々しく美しい笑顔ではない。寧ろ、 真剣で力いっぱいで汗だくで、顔がくしゃくしゃになっていることも少なくない。でも、だからこそ、その真剣勝負に子どもたちの心は揺さぶられる。「カッコ悪い」が「カッコ良い」のだ。

具体的なDIY(やってみなはれ)をひとつ挙げるとするならば、極めてシンプルだが、「発言」である。事例として大学職業指導研究会という組織のエピソードをご披露申し上げる。この組織は、首都圏を中心とした私立大学の就職支援業務に携わる担当者が、業務に関わる共通課題について研究、協議、情報交換を行う研究会である。その中で、新卒採用を担う企業人をお招きし、講演を行うイベントがある。その際、最後にお決まりの「質問タイム」があるが、殆どのオトナはその場で質問しない。挙手する方がイレギュラーでありどことなく「浮く」のである。だが、皆さん大学に帰ると在学生に向かって「企業説明会では積極的に挙手して質問せよ」「事前にきちんと企業研究せよ」と指導する。「職業」を「指導」するのであれば、まず、DIY(やってみなはれ)と言いたい。

同研究会の名誉のためにも申し上げるが、これは同研究会に限ったことではなく、オトナが集まる組織は大方「こんなもの」である(来年で設立50周年を迎える同研究会から生まれた企業-大学連携は少なくない)。ただ、ゲストを招きお行儀よく時間をやり過ごし有難くお話を心にしまうだけではいつになってもものにはならない。大学人がしばしば引用する「学習定着率」に従えば、講演等でインプットした話は他者にアウトプットすることで定着率が飛躍的に高まる。それを身をもって証明すれば、学生に「職業」を「指導」する際、説得力が増すはずだ。

顔が欠けても顔が濡れてもアンパンマンが人々に勇気を与えられるのは、アンパンマン自身に勇気があるからだ。「やってみなはれ」は「やってはる(やっておられる)人」が言うから効力を発揮する。そうでない「やってみなはれ」はただの式辞か強要である。無理に言って聞かせようとしたり、やってもないのにさせてみようとしたり、思ってもみないのに褒めてみたりするのではなく、まずオトナ自身が「やってみせる」のが先なのである。「やってみなはれ」とコドモに言えないオトナは確かにダメかも知れないが、「やってみなはれ」と言うだけのオトナはもっとダメである。

事務職員なのだから何もそこまで求めなくとも、という声があるかも知れない。だが、実は大学の事務職員は、平成29年3月31日の「大学設置基準等の改正」で、その役割が「事務を処理」することから「事務を遂行」することに変更されている。処理は受身仕事でなんとかなった(こともあるはずである)が、遂行は積極仕事でありそう簡単にはいかない。任務の遂行には「あの手この手」の実行を講じる必要があるからだ。五月病は、毎年の風物詩のように処理するのではなく、問題解決に向けて遂行しなくてはならない。コドモだけでなくオトナにも、できることは手の届く範囲に転がっているのだ。

本稿では主に大学事情について書き綴ったため、大学に直接関係のない皆様には得られるものが殆ど無かったかも知れないが、「オトナ」を「上司」や「親」に、「コドモ」を「部下」や「子」に読み替えていただき、ひとつでも参考になるヒントが在れば、望外の喜びである。

高部 大問(たかべ だいもん) 多摩大学 事務職員​​
大学職員として、学生との共同企画を通じたキャリア支援を展開。本業の傍ら、学校講演、患者の会、新聞寄稿、起業家支援などの活動を行う。