もしかして最近方言が薄れてきていないか?

こんにちは!肥後庵の黒坂です。

私は東京から熊本県へ移住して生活をしています。標準語が聞こえてくる環境から、地方へ移住したことで「方言」を強く意識するようになったのですが、その方言について最近ちょっと気づいたことがあります。それは「最近、昔に比べると方言が薄れてきていない??」ということです。

若年層と年配者の方言の濃度が違う⁉︎

私は熊本県でフルーツギフトショップを経営しています。熊本県民の従業員やお店の人、取引先の人とやり取りする時、当然ですが彼らは方言を話します。その時に強く感じることは「人によって方言濃度が全く違う」ということです。おそらく地域差ではなく、年代差によるものだと思います。同じ街に生まれ育った人でも、60代以上の人と20代の人とでは別の言語に聞こえるくらい大きな違いを感じることがあるのです。20代の人も方言を使っているのですが、移住して耳が慣れたのもあり、話していて会話が分からない事はほとんどなくなりました。しかし、正直、年配の方と話すと会話の半分以上が理解できないことは未だにあります。

もしかして若年層と年配者って方言濃度が異なるのではないか?それが正しいとすると、方言って薄れてきているのではないか?と感じるわけです。

若者の方言が薄れている?

ここ、熊本でもテレビやラジオ、ネットで標準語を耳にするのは当たり前になっています。東京の番組やNHKのニュースなどがテレビで流れていると、聞こえてくるのは標準語、方言ではありません。ネットの動画は言わずもがなです。若い人はメディアに触れている時間が長く、メディアの標準語に触れて育つことで、方言がいくぶん薄まる一因になっているのではないでしょうか。

若者の方言離れが起こっているのは日本だけではありません。お隣中国でも若者の方言離れが起きている事が、上海大学文学院の銭乃栄教授がデータを出しています。中国も日本と同じく、メディアから流れてくるのは標準語なのでしょう。同じ現象が起こっているというならば、原因も同じではないかと思いますね。

方言は薄くなってもなくなることはない

私は地方文化の専門知識がない門外漢ですから、えらそうなことや説得力のある話は出来ません。しかし、あえて個人的な意見を言わせてもらうならば、方言は必要であり、また必要であるから残ってきてそれはこれからも続くと思います。

過去に私は北海道の友人に「すごく寒い」と言うつもりで、「今日はしばれるなあ」と冗談で言ったところ、真顔で次のように言われました。「軽々しくしばれるなんて言うもんじゃない。しばれる寒さはこんなレベルではないのだから」と。寒さを表す表現は雪国の人たちはとても豊富に持っていて、「しばれる」というのは本州の人間が体験できないほどの寒さなんだと、このように言うわけです。寒さの微細な違いを標準語で表現するとなると、かなり大変だそうで雪国に住む人達の間で寒さについて解像度の高いコミュニケーションを取るには、方言の力を借りるのがもっともスムーズなのだというわけです。

なるほど、その地域でしか通用しないのが方言なのですから、その地域の気候や風土、文化に適したものが方言として残っているのでしょう。そう考えると、日本に数多ある方言はこれからも存続する意義が大いにあるなと思うようになりました。方言が薄れていっても、標準語にない利便性の高い方言ワードについては、これからも残っていくのではないでしょうか。

ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。