流暢に話せなくてもいい:コミュニケーション能力を磨く その2

会話だけでなく、プレゼンや講演のように多数を相手に話す場であっても、流暢に喋れなくても気にする必要はない。よく「立て板に水」のような話し方をする人がいるが、時として流暢過ぎる話し方は逆効果になることがある。

相手の反応を無視して一方的に流暢に話すのは多くの場合NGとなる。
相手が理解できているかどうかわからないのに、流暢に独善的に話すのは「思いやりのない話し手」だと判断され、マイナスイメージを持たれる事が多い。

相手が理解できているかどうか反応を見ながら話を進めよう。

会話であれば、「この点はどのように考えられますか?」「これ、いかがでしょう?」などと、合間合間に相手に質問するのが効果的だ。
プレゼンや講演でも、間(ま)を取って聞き手の反応を探りながら話をしていくことが大切だ。

間(ま)を取らずに延々と喋られると、大抵の聴き手は疲れてしまう。

上手く話せずに”しどろもどろ”になるプレゼンや講演も、時として名プレゼン、名講演になることがある。
聴衆の方が、「言いたいことは〇〇ということだろう」と、心の中でツッコミを入れる方が聴衆にとって理解力が高まるし、聴いていても楽しい。

私が司法試験受験生だったころ、ある合格者が模擬試験の解説講義をした。
失礼ながら見た目も冴えないし、話も”しどろもどろ”だった。聴いている方が、「この人、大丈夫だろうか?」と心配になるくらいだった。

「代理人の権限乱用」という論点で民法93条但書をどうやって類推適用するかを説明する際、突如わからなくなったのか黒板の前悩みだし、しばらくして「まあ、恥を書いたということで…」の一言。
どっと笑いが起こって受講生には大いに受けた。

おそらく、その日の受講生は「代理人の権限濫用」の論点をしっかり頭に叩き込んだはずだ。

“しどろもどろ”で恥をかいた講師は、流暢にしゃべる他の講師たちよりも、結果的には受講生の役に立ったのだ。

「話し下手」と「話が聞き取れない」とは全く違うので、その点だけは注意すべきだ。
「話し下手」の場合は、聞き手が「〇〇のことを言いたいんだろう」「それは☓☓だよね」などと心の中で補充作業をしてくれる。

しかし、「話が聞き取れない話し手」だと、これはもうどうしようもない。
私が高校時代に世界史を担当していた教師は、「モゴモゴ」という感じで何を喋っているのか理解できず、生徒のほとんどが世界史独学となってしまった。

司法修習の二回試験の口述試験でも、質問者が「モゴモゴ」で何を質問されているのか理解できず、ずいぶん苦労した経験がある。「ゆっくり」「大きな声」「重要な部分は繰り返し」、最低限話している内容がきちんと伝わることが最低条件だ。

余談ながら、私の友人は、就職面接前に某社人事部長の知人から、「無意識的に話すスピードが速くなる学生が多いので、意識してゆっくり話したほうがいい」というアドバイスを受けたそうだ。

自分ではなかなか良くわからないので、同僚や知人らにアドバイスを求め、話が速くなる傾向が自分にあれば「ゆっくり話すこと」と自分に言い聞かせよう。
会話や講演はカラオケじゃない。

大事なのは中身と相手の理解度、そして相手が抱く好感度だ。
仮に、自分が話下手だと思っていても、現にそうであっても決して怯む必要はない。

荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年5月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。