バチカンに住む「亡霊」の正体は

独週刊誌シュピーゲル(5月19日号)は世界に13億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会の総本山バチカン法王庁の歴史を10頁に渡り特集した。その内容はバチカンにとってかなり厳しいものがある。以下、シュピーゲル誌のバチカン特集の内容を紹介する。

▲「バチカンの亡霊」を特集する独週刊誌シュピーゲルの表紙

▲「バチカンの亡霊」を特集する独週刊誌シュピーゲルの表紙

第2次世界大戦で連合軍が1944年秋、ローマを解放した時、英国の政治家ハラルド・マクミランはバチカン内に入った時の印象を書いている。
「バチカンには時間が存在しない。何世紀も経過したが、バチカンでは4次元の世界が支配し、歴史の亡霊たちがそこに佇んでいる」

ヒトラー、ムッソリー二のような独裁者と同じように、蛮行を欲しいままに振舞った法王とその犠牲となった奴隷たちの亡霊が住んでいるというのだ。5年前にローマ法王に選出されたフランシスコ法王は、「過去の亡霊たちを追放し、教会を近代化するために就任した」と述べたことを思い出す。

そのフランシスコ法王は説教で頻繁に“悪魔”について語り、「悪魔がバチカンでどのような権力を振舞ってきたかを理解するために、キリスト教初期の歴史を思い出すべきだ」と主張してきた。

バチカンがこの世の権力を掌握していく歴史は「秘密に溢れ、残虐で、不透明」だ。イエスの十字架後、最初の約300年間、キリスト者は迫害された。使徒ペテロを含む多くの信者たちが殉教し、動物のエサにもなった。
32代までの法王は全て殉教したが、ローマ帝国のコンスタンチヌス大帝が西暦313年にキリスト教を公認し、テオドシウス1世が392年にキリスト教を国教とすると、キリスト教はローマ帝国で急速に影響力を拡大していった。例えば、第49代法王、ゲラシウス1世(在位492~496年)は「法王の権力はこの世の権力者のそれを凌ぐ」と豪語するほどになった。

その後、バチカンの歴史は地上出現した独裁者と同じ道を歩み、蛮行、腐敗、殺害をほしいままに繰り返していった。その結果、キリスト教会は権威を失い、中世に入るとバチカンは衰退していった。そこに1095年、ウルバヌス2世(在位1088~99年)が十字軍運動を呼びかけ、異教徒の追放に乗り出し、イスラム教徒からエルサレムを解放するため最初の十字軍遠征を始めている(1099年7月にはエルサレムを奪い返す)。

キリスト教徒の十字軍遠征では殺害、暴行などが行われれたが、最悪の蛮行はイスラム教徒に対してではなく、同じキリスト教の宗派、南仏で広がっていたカタリ派への迫害だった。彼らは初期キリスト教会のように質素な生活と信仰をもっていた。法王権全盛時代のインノケンティウス3世(在位1198~1216年)はフランスの国王にカタリ派の撲滅を要請している(カタリ派信者の犠牲者総数は2万人とも推定)。

1231年には異端裁判所が設置された。教会の教義に反する聖職者、信者たちを拘束し、殺害していった。異端裁判所は“ローマ法王の拷問室”と呼ばれた。ちなみに、拷問は主にドミニコ会修道院の修道僧が担当していたことから、ドミニコ会修道僧は「主の番犬」と言われていたというのだ。

バチカンの歴史を振り返ると、現在では考えられない聖職者がペテロの後継者に就任している。例えば、ルネサンス期の代表的世俗法王、アレキサンデル6世(在位1492~1503年)は50人の売春婦を抱えるほど好色家で強欲、脅迫と殺人を繰り返した。同6世の息子の1人チェーザレは17歳で枢機卿に就任する、といった具合だ。

カトリック教会の歴史の中で汚点の一つは、アフリカからの奴隷貿易に深く関わってきたという事実だろう。食料栽培や銀鉱山の労働者には南米では主に原住民インディオが担ぎ出されたが、体力的に強靭なアフリカから奴隷を連れてくることを進言したのはカトリック教会聖職者だった。
ピウス9世(在位1846~78年)は1866年、「奴隷を保有することは決して神の御心に反しない」と豪語した。奴隷貿易に批判の声が上がるのは1965年の第2バチカン公会議まで待たねばならなかった。

また、ピウス12世(在位1939~1958年)はスペイン内戦ではフランシスコ・フランコを中心とした軍部を支持し、ナチス・ドイツの侵攻とユダヤ人虐殺では目を閉じ、ヒトラー軍がスターリングラードの戦いで敗北し、米国の参戦を知った後、ナチス・ドイツ政権を批判し出した法王だ。ヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005年)は2000年、シナゴークを初めて訪問し、教会が戦争時にユダヤ人に対して行った蛮行に謝罪を表明している。

バチカンの歴史は長く、ローマ法王の醜態の歴史も長い。バチカン歴史学者は、「ローマ法王の役割を過大評価すべきではない。彼らは選ばれ、そして去っていく。しかし、教会は生き続ける」と述べている。

ベネディクト16世時代(在位2005~13年)に入ってからは法王に機密文書がメディアに流れる“バチリークス”が発生し、バチカン銀行の不正とイタリアのマフィアとの関係、バチカン財務長官のジョージ・ペル枢機卿(76)の未成年者への性的虐待容疑問題を含め、聖職者の性犯罪が世界各地の教会で発覚している。

現ローマ法王フランシスコは教会刷新へのチャンスについては、「エジプトのスフィンクスを歯ブラシで掃除するような試みだ」と吐露し、バチカンに住み着く亡霊退治が容易ではないことを明らかにしている。

イエスの教えのエッセンスといわれる「山上の垂訓」(マタイによる福音書第5章1節から)を知っている人からみれば、上述のバチカンの歴史は少々ショッキングだろう。イエスの教えはどこに消えてしまったのだろうか。その答えを得るためには、バチカンを支配し続けてきた亡霊の正体を知らなければならないだろう。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年5月30日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。