前知事のスキャンダル辞職に伴う出直しの新潟県知事選は10日、投開票が行われた。NHKニュースの当確速報によると、自公が支援する花角英世氏(前海上保安庁次長)が、野党5党が推薦する池田千賀子氏(前県議)に競り勝ち、初当選を果たした。
近年の新潟の大型選挙では、野党側が優勢で苦戦が予想された中での辛勝。花角氏が負けていれば、9月の自民党総裁選を前に党内で「安倍おろし」の動きに直結するリスクもあった。というのも今回の知事選は、来年の参院選1人区の戦いを占う上で示唆に富む「前哨戦」の側面があり、「安倍首相では参院選は戦えない」というムードが広がりかねなかったからだ。
しかし、安倍政権にとってはひとまず窮地を脱したに過ぎない。野党側もこの戦いで安倍政権をあと一歩まで追い詰めた背景に、農産地の多い1人区で「新潟モデル」とでも言うべき戦い方に勝ち筋を見出したからだ。安倍首相が秋以降、続投し、参院選を迎えたとしても「新潟モデル」で一定の手応えを得た野党側を返り討ちにできるかどうか、「モリカケ」で求心力を落としている中では、試練が続く。
今回の選挙結果は、我が国の原発政策への影響もあるが、本稿は政局視点で、特に先述の「新潟モデル」を中心に選挙戦を振り返りたい。
池田陣営は争点を原発から広げて立て直しに成功
選挙結果の抜きつ抜かれつの詳しい経緯は松田馨氏が分析した通りだ。序盤戦は朝日が報じたように花角氏がやや先行したが、争点化が必至だった「原発」の争点化を巧みに回避。花角氏も再稼働に関する「米山基準」の継承を掲げた。2月の沖縄・名護市長選で、米軍基地問題のアジェンダ設定を、地域経済や市民生活の向上に多様化して与党側が勝利した戦略を踏襲。原発一本槍だった野党側ははしごを外され、スタートは意外に失速した。
前半戦、左派の選挙通のSNSの書き込みを見ていると、「自民VS県民の構図に持ち込むべきだったのに、野党側が存在感を出しすぎて国政の対立を持ち込んでいる印象が強くなりすぎる」と嘆いていた。同時に「選挙下手の旧民進党関係者が仕切っているから失敗している」とも見立てていた。この人物と政治的価値観は全く異なるが、情勢分析については私も全く同感だった。
しかし7日間の短期決戦である名護市長選と違い、知事選は17日間のフルマラソン。池田陣営のネット発信をウォッチし続けていたが、中盤から原発関連の発信が減り、農業や地域経済にクローズアップし始めたあたりから「風向き」が様変わりし始めた。終盤の8日にはツイッターで、マスコミでは話題になっていない農業を唐突に「争点化」し、農村票を切り崩す姿勢をみせている。
池田氏健闘のシンボリックな要因だった中村喜四郎氏
これは地上戦にも反映された。特にシンボリックだったのが、元自民党の保守政治家で、建設相などを歴任、現在は無所属の中村喜四郎氏が池田陣営の応援に入り、「八面六臂の活躍」(池田陣営関係者)をしたことだ。
周知の通り、中村氏はゼネコン汚職で収監。出所後に復活当選を果たしたあとも、10年以上、無所属で議員活動を続け、茨城7区の孤塁を守り続けてきた(現在は岡田克也氏ら旧民進系議員らの「無所属の会」に所属)。メディアの取材にほぼ応じず、選挙通の間で近年は「レジェンド」のような存在としてマニアックな注目を集めているが、数少ないインタビューに成功している常井健一氏によれば、打倒安倍政権に執念を燃やしている。
中村氏は大学卒業後、4年間、田中角栄元首相の秘書をつとめ、国会議員になった。応援演説の動画をみれば一目瞭然だが、田中氏とのゆかりを振り返り、いまなお越後の大地に息づく、県民の角栄へのロイヤリティーに訴えかけている。
単に角栄とのゆかりを強調するだけではない。自ら先頭を切って農村部を精力的に訪ね歩き、池田氏支持を訴えて回ったという(出典:文春オンライン)。まさに角栄流の「川上から川下」の農村部へのドブ板選挙を展開し、保守票を切り崩し、さらなる農村票を掘り起こす。そして常井氏のレポートがその様子を伝えてSNSで拡散し、左派色の強かった池田陣営のイメージに中村氏のようなベテラン保守政治家の安定感が強調される宣伝効果もあった。
池田陣営は、中村氏の動きに象徴される“角栄仕込みの戦術転換”により、立て直しに成功。普通、選挙戦中に戦略を大幅に軌道修正すると「ブレた」ようにみられ、裏目に出るリスクも伴うが、結果的には、まるで選対中枢のタクトが別の人間に握られたのではないかと見違えるほどの巻き返しだった。
ただし、今回に限って、中村氏の登場や「角栄ブランド」をフル活用したから善戦した、というのは表層的だ。農業県の新潟では、安倍政権が2013年以降、TPP批准を進めてきたことを根に持ち続けている人が多い。さらに半世紀単位で新潟の政治史をさかのぼれば、田中角栄の有形無形の政治的遺産が選挙で折々に発揮される。自民系の選挙プロの見立てによれば、越山会が解散したあともそのDNAは政治関係者や、選挙に携われる業界団体に継承され、人材は県内の与野党に広く息づいている。つまり、新潟の政治風土は、野党の選挙は、東京でイメージされている左派運動チックなものとは限らない。
「ポスト平成」も生き続ける角栄の「昭和ベルト」
その意味では、良くも悪くも角栄の遺した昭和型の政治インフラがあらためて強固であることを突きつけられた格好だ。ただ、それが今後も強固でありすぎると、中央政権が「21世紀版の列島改造」へとアップデートを試みた時に政策効果が不発に終わったり、あるいは露骨に阻まれてしまいかねない。
参院選の1人区の多くは、急速な人口減少と高齢化、21世紀の潮流に遅れた経済構造など、新潟と似たような宿命を抱えている。アメリカ大統領選で注目された「ラストベルト」ではないが、“昭和ベルト”とも言うべき地方と東京などの都市部との格差、地域間の政治的利益の対立が今後も重い課題として横たわり続ける。安倍政権は今回こそ辛うじて勝ったが、左派野党は、今回の選挙経験・ノウハウをいかした「新潟モデル」を他県にも輸出するだろうから、懸念は残る。
まもなく平成が終わろうとする中、いまだ地方に残る田中角栄的な「昭和」の政治的遺産、社会的遺産にどう向き合っていけばいいのか。政局的には来年の参院選の視点で論じられがちだが、新潟の知事選も参院選もあくまで「通過点」でしかない。
そのことは安倍政権はもちろんのこと、野党や、政治家を選ぶ国民の側にも問い続けられる。平成で終わらせられなかった「昭和」にいつ終止符を打てるのか。田中角栄の死から四半世紀。その“亡霊”との戦いはまだ続いている。