ブロック塀問題に潜む教育問題

高部 大問

NHKニュースより:編集部

即席舞台の傍らで

18日午前7時58分頃、大阪府北部を震源とする震度6弱の地震が発生し、その影響で高槻市立寿栄小学校のブロック塀が倒壊。9歳の女児が命を落とす結果となってしまった。

3.5メートルの高さにおよぶブロック塀は建築基準法の定める規格を満たしておらず、ブロック塀を支えるべき控壁がなかったことも指摘されている。浜田剛史市長は法令違反状態であったことについて速やかに謝罪しているが、今後、「ここもあそこも」とブロック塀問題は広がる可能性がある。現に、文部科学省は全国の小中学校に対して敷地内のブロック塀の緊急点検を要請することを決めた。

「ここにもありました!」と発見する人、「大変遺憾です」と報じる人、「すみません」と対応に追われる人、様々な役者が即席舞台に入れ替わり立ち替わり登壇することとなるだろう。人間の活動はそんなに完璧ではない。叩けば埃は出る。問題を発見し、課題を設定し、ひとつひとつ解決策を講じ改善を重ねることは、それはそれで重要な営みである。

しかし、進歩が犠牲の上に成り立つことを考えれば、今回の犠牲をどう進歩に繋げるべきか。即席舞台の傍らで沈思黙考の必要性を感じる。しらみつぶしに法令違反のブロック塀を見つけ対処するだけで十分なのだろうか。大学で進路支援に従事する一教育関係者としては、教育問題に紐付けて考えずにはいられない。

グリーンベルトは完全安全か

市教育委員会によれば、地震でブロック塀が崩れた寿栄小学校のプール横の道路には、児童の安全確保のために「グリーンベルト(言わば安全地帯)」と呼ばれる通路が設置されていたという。今回の悲劇は、安全であるはずのグリーンベルトが、いついかなる時も絶対的に安全(完全安全)というわけではなかったことを証明してしまった。

大人が言う安全は安全でないことがある。「とりあえず大学に行けば安泰」「有名企業に入れれば幸せ」など、大人は子どもに様々なグリーンベルト(安全地帯)を用意し、その道(キャリア)を歩くよう指導してきた。しかし、今回の件のように、グリーンベルト(安全地帯)は安全でないことがある。大人の全ての助言を面従腹背で聞き入れるなとは勿論言えない。グリーンベルト(安全地帯)が設置された背景には、通学途中に児童が犠牲になる事故が全国的に多発したことがあり、これまで数々の命を救ってきた側面も否定できない。

それでも、「大人は完璧ではない」ということは、ネットで何でも検索できそうな時代であっても、不用意な誤解や社会への幻滅を招かぬよう、直接子どもたちに伝えておいて損はないだろう。子どもたちが主体的になることは、教育界が永年目指してきた「自ら考えて行動する人間を育てる」というアジェンダとも軌を一にする。

いい加減が良い加減

ニュース番組では、寿栄小学校を卒業した社会人の「あの道は昔から怖いと感じていた」という趣旨のコメントも報じられており、グリーンベルト(安全地帯)が長く設置されていただけでなく、放置されていた実態も窺える。危険を感じてきた人や改善の声をあげてきた人はこれまでも多数おられたのであろうが、事件や事故が起きないと手出しできないのが大人世界のセオリーのようだ。

ブロック塀問題に限らず、大人が言うグリーンベルト(安全地帯)には、半信半疑の「いい加減」な態度くらいがちょうど「良い加減」なのかも知れない。​

高部 大問(たかべ だいもん) 多摩大学 事務職員
大学職員として、学生との共同企画を通じたキャリア支援を展開。本業の傍ら、学校講演、患者の会、新聞寄稿、起業家支援などの活動を行う。