ケネディが上杉鷹山を尊敬していたのは真実か?

八幡 和郎

上杉鷹山とケネディ(Wikipedia:編集部)

ケネディ大統領が「尊敬する日本人は誰か」と質問されて、「それは、上杉鷹山です」と答えたという話はよく知られている。松平定知氏もこう“尾ひれ”を付けている。

「ケネディのあの一言がなければ、その人物の存在を知らなかった日本人が大部分だったことも事実である。そのことを愧じると同時に『その情報』に、多くの日本人より、早く、しかも正確にキャッチしていて、それをケネディにインプットした、彼のブレーンの優秀さには舌を巻くほかはない」

しかし、このエピソードは、最初から、いつどこでということ抜きの話だ。ケネディ就任の直後に来日したときなどという説明もあるが、ケネディ大統領は訪日していない。

米沢の「上杉鷹山公と郷土の先人を顕彰する会」が追跡調査し、当時のマスコミ各社の特派員などに聞き取り調査もし、そのような発言の一次報道がなかったかも調べたようだが、なかったことが確認されている。

地元の市会議員がラジオか何かでそんな話をしたのがきっかけではないかともいわれるし、「セオドア・ルーズベルトが新渡戸稲造の『武士道』を読んで感銘を受けた」というのを「ケネディが内村鑑三の『代表的日本人』を読んでそこに書かれている上杉鷹山を尊敬するようになった」と二重に取り違えたのかも知れないと、私も書いてきた。

そんなわけで、「都市伝説」だということが確定しつつあったが、2013年に米大使館のカート・トン首席公使が、某参院議員にそういう発言は実際にあったといい、トン氏は文書の写しを渡すことも約束したと報道があり一波乱あった。

私ももしや奇跡が起きるのでないかと楽しみにしていたが、いまだもって、文書の写しが届いたという話はない。娘のキャロライン・ケネディ氏が駐日大使在任中に米沢を訪れて、「御存知のとおりケネディ大統領は、本日お祭りで祝っている方に敬服しておりました」と発言したので、伝説は本当だったことが立証されたという新聞の見出しも出たが、まだ幼なかっただったキャロラインが覚えているとも思えないから、リップサービスでないなら誰から大使が聞いたのか是非知りたいところだ。

有名になりすぎ、ベストセラー小説でも知られた話だけに、全面的に否定すると影響が大きいのかもしれない。しかし、ケネディの話が事実でないとしても、上杉鷹山が国際的な普遍性を持って、十分に世界に通用する「尊敬に値する人物」だ。

鷹山は江戸時代の米沢藩藩主。生前から現代までその高い評価にほとんど変化がない珍しい人だ。破産状態にあった米沢藩を再建し、高い水準の教育、産業、福祉を実現し、その在世中から天下の信望を集めた。明治になっても戦前は修身の教科書で取り上げられ、現代でも多くの経済人が尊敬する人にあげ、地方の首長さんから理想のリーダー第一位に選ばれた。

しかし、鷹山の人と業績は、あまりにも理想化されてしまっている。歴史小説でも童門冬二氏の『小説 上杉鷹山』など、よく読まれているが、現在の麻布高校のところにあった高鍋藩邸(藩は現在の宮崎県東部に位置)で生まれて、法務省のところにあった米沢藩邸に養子に行っただけの鷹山が九州出身になっていたり、一か八かの捨て身の行動で人々を引きつける芝居がかった人物に描かれているが、現実の鷹山は意気に感じてとか一か八かが大嫌いな合理主義者だった。

実際の鷹山は、「民間丸投げを嫌い大きな政府に傾斜した改革をした」、「家庭を仕事より大事にすることを自分でも実践し部下にも要求した」、「部下などに公費で酒を振る舞うことが大好きだった」、「オランダを窮理に優れた国として高く評価していた」、「現実主義的で精神主義・既成宗教・迷信なども好んでいなかった」「初めてのお国入りの行列はかなり豪奢だった」、「たいへんな教育パパだったらしい」などというと、多くの人がもっているイメージとはだいぶ違う人物だと分かる。

一言で言うと、完璧主義者で、「完全無欠に近い」人物だ。鷹山のおかげで米沢藩は再生し、領民も豊かになったが、あまり大飛躍するような飛んだ発想には向かないかもしれない。しかし、もし鷹山が幕末にいたら、薩長など関ケ原の西軍の仲間と行動したかもしれない。米沢藩は戊辰戦争で列藩同盟側についたものの、最後は終戦に尽力したのは、土佐藩と縁戚であったこととともに、鷹山が高鍋藩出身だったことも意識されたかもしれない。

このケネディと上杉鷹山の話が嘘ではないかということは、「小説伝記  上杉鷹山」(PHP)で指摘したが、駐日米国公使の発言から、やっぱり本当だったのでないかという期待も高まっていた。しかし、どうもその後なにもなさそうで再び都市伝説でないかと、「江戸時代の不都合すぎる真実」(PHP文庫)で問題提起した。

もし反論があるなら、是非、お聞きしたいところです。

八幡 和郎
PHP研究所
2008-11-26