大人になるとなぜ、読書を娯楽として楽しめなくなるのか?

黒坂 岳央

こんにちは!肥後庵の黒坂です。

感受性とは視力みたいなものだと思っています。同じものを見ても、視力が弱ければぼんやりとしか見えませんが、視力が良ければハッキリと細部まで見ることが出来ます。

夕日を見ても感受性のない人にとっては「ただの夕日じゃん」となりますが、その一方で雄大な太陽の力を感じて、涙を流して止まらなくなる人もいるのです。そうした人からすると、夕日一つ見ても悠久な宇宙全体の中にある、ちっぽけな地球を暖かく包んでくれる太陽に見えているのかもしれませんね。

夕焼けに感動する話、実は高校生の時の私のことです。あの頃は星空を見ても、風に揺られる稲穂を見ても感動していたのですが、最近は夕焼けや星空をじっくり見て心を動かされるという体験が少なくなってしまいました。この感受性は大人になるにつれ、失われていくといわれています。感受性が失われることで、自然に対して感動する力がなくなるだけではなく、読書をしても楽しめなくなってしまうケースがあると考えています。

「感受性が失われることで本が読めなくなる」とはどういうことか?今回は「感受性と読書」というテーマを取り上げてみたいと思います。

年を取ると読書は「娯楽→必要」に変わっていく

超勉強法という本の中で野口悠紀雄さんは、「若い間に名著を読んでおいた方が良い。ドストエフスキーは高校生の感受性でないと読めない」と言われていて、20歳そこそこの私はその言葉に衝撃を受けました。

「読めない本が出てくる、というのはどういうことだろうか?年齢を重ねるとより論理的なものを受け入れやすく、読解力も向上するはずだが…」と。でも今はそのことが分かるような気がします。

年をとると実用書か、自分が受け入れたい主張か、昔読んだことのある本しか読めなくなっていくのではないでしょうか?

大人になり、仕事や子育てに追われているとなかなかじっくり座って本を読む時間が取れなくなります。限られた時間の中で、読書をするならそれは優先順位をつけざるを得なくなります。多くの人にとって、もっとも優先度の高いもので言えば、今自分がやっている仕事の専門書や、スキルアップのためのビジネス書などになるでしょう。これは「楽しむために読む」ではなく、「必要だから読む」という位置づけです。

読書は娯楽ではなく、知識や情報収集の活動の一環という扱いになるわけです。また、加齢することで思考が硬直化し、自分と異を唱える主張を受け入れづらくなります。年をとるほど、自分が必要とする本しか手に取らなくなり、そして昔読んだことがある本に手を伸ばしてしまうことが多くなると思います。

文学上の名著などは大作であることも多く、その時代の背景を知らなければ楽しめない場合もありますから、じっくりと読み進める時間の確保が絶対に必要なのです。これは忙しい大人をますます娯楽としての読書から遠ざけてしまうと考えます。

ちなみにドストエフスキーを勧める人の話によると、「彼の文学作品の登場人物に感情移入し、共感出来るのは10代・20代前半までで、それ以降の年代には難しい」という「解」を出してくれました。つまり、ドストエフスキーは若い人向けの文学作品なのだということのようです。

もう一度高校生の感受性で小説を読みたい

私が高校生の時は学校を休んでばかりでロクに通わなかったのですが、現代文の授業だけは好きであまり休まないようにしていました。私が在籍していたド底辺工業高校では、進学校のように難関大学入試対策などはなく、国語の時間はなんと、先生がただ教科書を朗読するというスタイルでした。「高校生に対して、先生が本の読み聞かせ」、今考えると変なものですが、当時はそれがたまらなく好きな時間でした

先生が朗読を始めると、たちまち脳内に物語が展開されていきます。ハラハラ、ドキドキ、次は何が起こるのか?作者はどういう意図を持ってこのような展開にしたのか?「早く続きが知りたい!」と身を乗り出すように聞いていました。

特に私を魅了したのは夏目漱石のこころでした。夏の暑い日、他の生徒は眠っていたりゲームをしたり、携帯をいじっていましたが、私はゴクリとつばを飲みながら先生の朗読に真剣に聞き入っていました。そして家に帰ってその展開の意図や、他の人の見解を知りたくてネット上を巡回したものです。

おそらく、もうあの感覚で読書に臨むことは二度と出来ないでしょう。感受性が衰えてしまい、かつては細部までしっかりと見えていた登場人物の繊細な心の動きも、当時ほど見えなくなっているでしょう。もしも願いが適うなら、もう一度高校生の感受性で本を読みふけりたいと思わずにはいられません。お金はなく、家は荒んでいた時期でしたが、読書をしている時は羽が生えたように心は自由でした。

感受性は経験を経てなくなってしまう、「感情の飽き」なのか?もしくは脳の老化現象なのか?はたまたその両方なのでしょうか?その問いに対する答えは分かりません。

今の私に出来ること、それはあれほどの感受性でなくとも、世界のきらめきを取り戻すための精神のアンチエイジングです。これは大人になってからでも、夢中になれること、ドキドキ・ワクワクする体験をすることでアンチエイジングに取り組むことが出来ます。

そしていつの日にか、また夏目漱石のこころを読み直してみたいと思います。

黒坂 岳央
フルーツギフトショップ「水菓子 肥後庵」 代表

ビジネスジャーナリスト
シカゴの大学へ留学し会計学を学ぶ。大学卒業後、ブルームバーグLP、セブン&アイ、コカ・コーラボトラーズジャパン勤務を経て独立。フルーツギフトのビジネスに乗り出し、「高級フルーツギフト水菓子 肥後庵」を運営。経営者や医師などエグゼクティブの顧客にも利用されている。本業の傍ら、ビジネスジャーナリストとしても情報発信中。