「散歩」とピープルウォーカーたち

夜の闇に浮かぶ教会の塔(2018年7月27日、ウィーンで撮影)

散歩も学問だと初めて知った。独週刊誌シュピーゲル(6月9日号)が「散歩」について興味深い記事を書いていた。人間だけが目的がなくても、歩みだす、すなわち、散歩する存在だというのだ。「今からちょっと外に散歩する」と言い残して出かける愛犬や猫は多分、いないだろう。

散歩学は独語で Promenadologie(英 Strollology)と呼ばれ、スイスの社会学者 Lucius Burckhardt が1980年代に考え出し、独カッセル大学で学問として広がっていった。散歩学は、人が環境をどのように認識し、人と環境の間の相互作用などを分析する学問という。それだけではない。散歩は「何か大きなことを考える手段」となるという。日常茶飯事の出来事や災いに思考を集中せず、宇宙とは、何のために生きるのかなど、喧騒な日々、忘れてしまった「大きなテーマ」について、歩きながら考えるのが散歩学の醍醐味という。

確かに、文豪ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832年)もデンマークの哲学者セーレン・キュルゲゴール(1813~55年)も、あの“楽聖”ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770~1827年)も毎朝、目が覚めると、朝食前に30分ほど散歩したという。ウィーンの森には「ベートーヴェンの散歩道」と呼ばれる場所があるほどだ。そして「大きなテーマ」について考え、特にはインスピレーションを得たわけだ。ベートーヴェンは散歩時には常に鉛筆と紙を持参していたという。われわれはキュルゲゴールでもベートーヴェンでもないが、それでも「大きなテーマ」について懸命に思考を集中するのもいいだろう。

欧米社会では愛犬と散歩する時間がない人に代わって犬と散歩する人がいる。もちろん、手数料を払う。ところで、シュピーゲル誌によると、散歩したくても1人ではしたくない人のために一緒に散歩する人々が出てきた。新しいビジネスだ。一緒に散歩する人は People Walker と呼ばれるプロの散歩人だ。話しながら、何か大きなテーマについて語り合う。現代は全てがビジネスとなる時代だ。

当方も散歩に出かけた。大きなテーマについて考えるためだ。今考えているテーマは、どうして「暗闇」が生まれたかだ。電気を消せば、部屋は暗くなるし、太陽が隠れれば暗くなる、なんて言わないでほしい。聖書の「創世記」によれば、「神は『光あれ』と言われた。すると光があったという。そして神は光とやみとを分けられた」というのだ。

そこら辺の神の創造プロセスについて、米TV番組「スーパーナチュラル」(Supernatural)のシーズン11は興味深いストーリーを展開させている。神は光を創造するために妹の「暗闇」(ダークネス)を押し込めてしまった。神は大天使ルシファーと連携して妹「暗闇」を閉じ込めることに成功するが、終わりの時には閉じ込められていた暗闇が出てくる。その暗闇(アマラ)は兄に負けないほどパワフルな存在だ。「神」と「悪」の2元論の世界ではなく、“神のファミリー物語”として描かれている点が非常にユニークだ。

宇宙には暗黒物質が存在する。寿命が切れた星はブラックホールに吸収され、消滅していく。暗黒は決して空想の存在ではなく、宇宙のかなりの部分が暗黒物質で満ちているというのだ。

散歩しながらここまで考えてから自宅の仕事場に戻ってきた。次の散歩では「光と闇はどのようにして共存できるか」について考えていこうと思っている。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年7月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。