授業中に携帯で遊ぶ若者たちのEQ

加藤 隆則

先日、北京でメディア関係の学者や業界人と懇談をしていて、学生が授業中、携帯を見ている現象が話題になった。放置派、禁止派と二つに分かれたが、成績にどう反映させるかという点でも、意見はバラバラだった。中国の学生からも時々、

「先生は授業中、学生が携帯をいじっているのをどう思いますか」「授業をさぼる(逃課)学生をどう思いますか」

と聞かれる。教師によっては携帯禁止を徹底させたり、毎回、出欠をとって、欠席者は減点したりするケースもあるが、私は自律を重んじるので、一切放置している。学生が尋ねたくなるのも理解できる。ただ、いつも携帯をいじっている学生、しばしば欠席する学生のことはしっかり記憶している。そういう学生はほぼ例外なく、期末に提出させる課題文章の内容がこちらの要求からずれている。あらかじめマイナスの先入観があるので、採点も厳しくなることも考えられるが、他学生、特に真剣に授業を聞いていた学生の内容と比べれば、その差は歴然としてる。

質問をする学生に、「君だったらどう思う」と切り返すこともある。「自分が話をしているとき、相手がそれを無視して携帯をいじっていたら、愉快には思わないのではないか」と言えば、学生は頷くしかない。

共感に欠けていることを、中国の若者たちはしばしば「情商低」という。「情商」は「EQ=emotional quotient」、日本語では情動指数、感情指数などと訳される。米心理学者のダニエル・ゴールマンが広めた概念だ。自分の感情をコントロールし、相手の感情を理解する感情の働きで、EQが高い人は人間関係を円滑にすることができるとされる。

若者のEQが低いのは乏しい人生経験に照らしてやむを得ないと思うが、インターネットを通じたバーチャルな関係に浸ってしまうと、現実社会でのEQは低くならざるを得ないような気がしている。授業中に生じた疑問でも、教師とじかに会って議論するのではなく、手っ取り早く携帯のチャットで済ませてしまおうとする学生も多い。自己中心的で、相手がどのような気持ちになるのか、まったく想像力を欠いている。

ヴォルテールの『寛容論』を読んでいたら、第6章になじみの深い表現を見つけ、驚いた。

人間の権利は、いかなるばあいにおいても共通する大原則、地上のどこにおいても普遍的な原則がある。それは、「自分がしてほしくないことは他者にもしてはいけない」ということ。この原則にしたがうならば、人間が他者にむかって、「おまえにとっては信じられないことでも私が信じていることなら、おまえも信じなければならない。さもなくば、おまえの命はないぞ」などと言えるはずがない。(斉藤悦則訳)

『寛容論』は、ヴォルテール(694-1778)がカトリックの不寛容が招いた冤罪事件を告発し、寛容の精神を説くために書いた。「自分がしてほしくないことは他社にもしてはいけない」とは、『論語』顔淵、衛霊公の「己所不欲。勿施於人(己の欲っせざる所は、人に施すこと勿かれ」に通じ、洋の東西を問わないルールなのだ。ごく簡単な言葉に、人の道を説く真理が含まれている。ぜひ、私の授業に基本原則として取り入れたい。EQを高めるきっかけにもなる。

同様の言葉は、トマス・ホッブズ(1588-1679)の『リバイアサン』にもある。ホッブズは人間の主体性を重んじ、生命の安全を最高善として自然法を説いた。同著第14章で、自然法の第二として「人は、平和と自己防衛のためにかれが必要だと思うかぎり、他の人々もまたそうである場合には、すべてのものに対するこの権利を、進んで棄てるべきであり、他の人々に対しては、かれらがかれ自身に対して持つことをかれが許すであろうのと同じ大きさの、自由を持つことで満足すべきである」を揚げ、次のように解説している。

これは、「他人が自分に対してしてくれるように、あなたが求めるすべてのことを、あなたが他人に対して行え」という、あの福音の法である。そして、「あなたに対してなされるのを欲しないことを、他人に対してしてはならない」という、あのすべての人間の法である。(水田洋訳)

ホッブズは自然法19条を論述した後、以下の総括をしている。

これは諸自然法のあまりに精細な演繹であって、すべての人によって注意され得ないように、見えるかも知れない。理解するには、人々の大部分は、食物を得るのに忙し過ぎ、残りは怠惰に過ぎるのである。そうではあるが、すべての人を言い逃れができないようにするために、諸自然法は、最も乏しい能力にさえ理解できるような、一つのわかりやすい要約にまとめられた。それは「あなたが自分自身に対して、してもらいたくないことを、他人に対ししてはならない」というのである。(同)

ホッブスは、この格言の出典を示していないが、論語の「己所不欲。勿施於人」を知る者には非常に興味深い。中国の学生たちの心にもきっと届くに違いない。


編集部より:この記事は、汕頭大学新聞学院教授・加藤隆則氏(元読売新聞中国総局長)のブログ「独立記者の挑戦 中国でメディアを語る」2018年8月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、加藤氏のブログをご覧ください。