私たちの美しい日本は、今や、いたるところ被災地となってしまった。
今回の北海道胆振東部地震で被災された方々、命を落とされた方々に心からのお見舞いとお悔やみを申し上げる。
阪神淡路大震災で幕開けした平成の世は、自然災害という意味において、近代以降の日本人の誰も想像しなかった程に、さまざまな天変地異に見舞われた時代でもあった。東日本、熊本、大阪を始めとする大地震だけでない。地球温暖化が一因なのだろうか、私の地元・広島を始めとして、日本中の数多くの地域で、線状降水帯の発生による大災害が、いとも簡単に多くの人々の命を奪っている。
私は4年前、地元広島市安佐南区で発生した災害時に、家を失った多くの人々を見てきた。中には、新しく戸建てを買ったばかりでローンを払っている最中の人もいた。また、被災は受けていないものの、巨大な砂防ダム建設のために、住み慣れた家を泣く泣く手放さざるを得ない人々からも、数多くの要望が寄せられた。
有り体に言えば、国交省の定める用地買収のための公定価格が、簿価とあまりにかけ離れているということだ。公共の安全のために個人の資産供出が必要だとはいえ、自己犠牲という美しい話は当事者にとっては何の意味も為さない。被災した地域の時価はすでに暴落し、市場に出したところでもはやなんの利益にもならないし、砂防工事を行わなくては買い手すらつかないのは、被災者とて十分に理解している。理解はしているが、みんな、納得しきれない。復旧復興の道すじの中で、私は多くの人の悲しみと嘆きに直面した。経済的問題は、被災者に追い討ちをかけるように、長い苦しみを与えてしまう。
私は、彼らの絶望を前に、国は、被災者の経済再建を扶ける手立てを、当事者の立場になって考えるべきだと思った。今こそ国は、被災者の生活再建に対する国家補償の保険制度を創設するべきではないだろうか。
阪神淡路大震災を契機に、被災者の生活再建に光が当たるようになった(被災者生活再建支援法)が、これは、都道府県と国とが折半した「被災者生活再建基金」を原資とする。自然災害で全壊、半壊した住宅が対象であるが、最大300万円しか支給されない。
さらに、被災者が住宅ローンを支払っている場合、新居を建てるとなると二重ローン問題が発生する。この二重ローン問題への救済策も講じられた。これは、弁護士会などが提言してきたものであるが、熊本地震時に初めて適用された。詳細は2016年5月の日経新聞記事をご覧いただきたいが、支払い能力なし、またはそのおそれがあると認められた場合に限り、既存の個人債務を免除しながら新しくローンを組むことを可能とする制度だ。
被災者の生活再建に対する国の制度は、少しずつ充実してきたと評価する声もある。
しかしながら、自分が被災者になったと想像して欲しい。身内や知人の命を奪われ、これまで粉骨砕身してものにした家財を失い、そこからまた新たにローンを支払っていく人生。いったい、人生の意味はなんだろう、と、私なら絶望するだろう。たった300万ぽっちを受け取ったところで折り合いがつくだろうか。被災者の生活再建資金の引き上げを検討する必要がある。
これだけの災害大国であるから、共助の考え方を入れていくべきだ。いつ何時、私もあなたも被災者になるとも限らないのだ。国家補償の生活再建保険を創設することは、決して民業圧迫にはならないだろう。むしろ、南海トラフ地震、首都直下地震を想定すると、民間の損保会社がもつかどうかの方が心配だ。大阪北部地震での損保各社の支払額は、ひと月で少なくとも442億円にのぼった(産経新聞より)。
国は今まで通り、最低の補償は行いつつ、一般の保険と同じように、掛け金に応じて災害時の給付金が変動する仕組みとし、運用すべきだ。
被災者の方々にとって、本当に苦しいのはこれから数年間なのだ。私たち政治家は、彼らのこれからの長い闘いの行方を、ただ指をくわえて見ているだけではいけないのではないだろうか。