聖職者の「独身制」を改めて考える

長谷川 良

世界のローマ・カトリック教会で聖職者による未成年者への性的虐待が頻繁に起き、バチカン法王庁はその対応に追われている。同時に、聖職者の独身制の見直し論が教会内外で出てきている。

▲オーストリアのローマ・カトリック教会の精神的支柱、シュテファン大聖堂(2014年5月5日、ウィーンで撮影)

バチカン・ニュースが3日報じたところによると、バチカン法王庁のナンバー2、国務長官のピエトロ・パロリン枢機卿はイタリアの日刊紙イル・ ファット・クオティディアーノ(Il Fatto Quotidiano)とのインタビューの中で、「聖職者の独身制について疑問を呈することはできるが、独身制の急激な変化は期待すべきではない。教会の教義は生き生きとしたオルガニズムだ。成長し、発展するものだ」と述べ、「教会の独身制は使徒時代の伝統だ」と指摘、独身制の早急な廃止論には釘を刺している。

賛否は別として、パロリン枢機卿が独身制問題に言及したことは注目される。そこでローマ・カトリック教会の聖職者の独身制について、これまでの議論をまとめ、今後の見通しを探ってみた。

カトリック教会で聖職者の独身制議論が出るたび、教会側は「イエスがそうであったように」という新約聖書の聖句を取り出して、「だから……」と説明する。ただし、前法王ベネディクト16世は、「聖職者の独身制は教義ではない。教会の伝統だ」と述べている。カトリック教会の近代化を協議した第2バチカン公会議(1962~65年)では既婚者の助祭を認める方向(終身助祭)で一致している。聖職者の独身制は聖書の内容、教義に基づくものではない。教会が決めた規約に過ぎないことをバチカン側も認めている。

ベネディクト16世が「教会の伝統」といい、パロリン国務長官は「使途時代の伝統」というのではあれば、それではなぜ独身制を廃止しないのか、という疑問が出てくる。特に、聖職者の未成年者への性的犯罪が急増している時だけに、独身制の廃止を真剣に考えてもいいのではないか。

ドイツのカトリック教会司教会議が先月25日、秋季総会で聖職者の性犯罪に関する包括的な調査結果をまとめた報告書を公表したが、その中に興味深いデータが記述されていた。

350頁を超える調査報告書は独立機関に依頼して4年半余りの歳月を投入して行われた結果だ。調査期間は1946年から2014年の68年間で3677人の未成年者が聖職者によって性的虐待を受け、少なくとも1670人の神父、修道院関係者が性犯罪に関与したというショッキングな内容だ(「独協会『聖職者の性犯罪』をもみ消し」2018年9月14日参考)。

その中に性犯罪を犯した聖職者の職種別のデータが報告されていた。未成年者に性犯罪を犯した教区神父は1429人で、犯罪発生率は5・1%だった。修道院は159人で発生率は2・1%、そして助祭(Diakonen)の場合、24人で発生率は1%だった。

注目すべき点は、教区神父の未成年者への性犯罪の発生率は修道院所属や助祭と比べると2倍から5倍多い。一方、神父への昇叙がないが、妻帯が許される助祭の場合、性犯罪件数はわずかだった。

このデータをどのように解釈するかは立場で異なるだろうが、結婚できる助祭には性犯罪の発生率が少ないということだ。参考までに、聖職者の妻帯が許されているプロテスタント系教会や正教会ではカトリック教会ほど聖職者の性犯罪は多発していない。

独身制に神学的な背景があるかというと、事実はまったく逆だ。旧約聖書「創世記」を読めば、神は自身の似姿に人を創造され、アダムとエバを創造された。その後、彼らに「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(第1章28節)と祝福している。独身制は明らかに神の創造計画に反しているわけだ。野生動物学のアンタール・フェステチクス教授は「カトリック教会の独身制は神の創造を侮辱するものだ」(オーストリア日刊紙プレッセ3日付)と言い切っている。

キリスト教史を振り返ると、1651年のオスナブリュクの公会議の報告の中で、当時の多くの聖職者たちは特定の女性と内縁関係を結んでいたことが明らかになっている。カトリック教会の現行の独身制は1139年の第2ラテラン公会議に遡る。聖職者に子供が生まれれば、遺産相続問題が生じる。それを回避し、教会の財産を保護する経済的理由があったという。

ところで、聖職者の未成年者への性的虐待は独身制と関連があるかどうかで過去、議論が分かれてきた。例えば、駐ジュネーブのバチカン法王庁外交代表部(代表シルバーノ・トマシ大司教)は2014年5月6日、国連拷問禁止委員会の定例審査で、「カトリック教会の在り方が未成年者への性的虐待を促進させている、といった非論理的で、事実でない話が広まっている。職業別の性犯罪率で比較すれば、聖職者の性犯罪率は低い」と弁明し、聖職者の独身制と性犯罪とはまったく関係がないと強調している。

同じように、オーストリアのローマ・カトリック教会最高指導者シェーンボルン枢機卿も、「性犯罪はカトリック教会の聖職者だけが犯す犯罪ではない。その件数自体、他の社会層のそれよりも少ない」と説明した、といった具合だ。

それに対し、2人の学者が、「聖職者の性犯罪と独身制とは密接な関係がある」と指摘した研究書を発表し、注目された。オーストリアの元神父の2人の学者、ペーター・ウィルキンソン氏とデスモンド・ケヒル氏は384頁に及ぶ研究書の中で、「世界のカトリック教会には、聖職者を性犯罪に走らせる組織的欠陥がある」と指摘、個々のケースを調査し、各ケースに共通する背景、状況を検証した。その結果、①聖職者が結婚できる教会では性犯罪は少ない一方、聖職者の独身制を強いるカトリック教会では性的に未熟な若い神父たちが自分より幼い未成年者に性的犯行に走るケースが多い、②カトリック教会が経営する孤児院や養護施設などが性犯罪を誘発する背景となっている。カトリック教会は世界約9800カ所に孤児院、養護施設などを経営しているが、それらの施設に保護される未成年者は聖職者の性犯罪の犠牲となる危険性が高い、と結論している。

独身制と聖職者の性犯罪の関係はその密度は別として関連性があることは疑いないだろう。パロリン枢機卿は、「独身制問題では答えるより、問いかけることが重要だ」と禅問答のような発言をしているが、バチカンは今こそ、独身制の廃止に乗り出すべきだろう。「カトリック教会以外でも性犯罪が発生している」といった弁明には救いがない。教義でもないのだから、独身制の廃止に踏み出すべきだ。そして教会の新たな伝統をつくっていけばいいだけだ。内縁の女性を抱えたり、未成年者への性的虐待を繰り返すなど2重生活を送る多くの悩める聖職者を解放すべきだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年10月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。