フルサイズミラーレス一眼三強時代:東京五輪を制するのは?

長井 利尚

ソニーの独壇場であったフルサイズミラーレス一眼市場に、プロカメラマンから絶大な支持を得ている、ニコンとキヤノンが殴り込みをかけた2018年。今のカメラ業界は、一眼レフカメラの「オートフォーカス化」の黎明期(1987年頃)に似ている。

東京五輪のカメラ市場はどこが制するか?(Nathan Gibbs/flickr:編集部)

1985年、ミノルタ(後年、コニカと合併後、カメラ部門をソニーに売却)は、世界初の本格オートフォーカス一眼レフカメラ「ミノルタα7000」を発表。万年3位メーカーだったミノルタが、本格的なオートフォーカス一眼レフカメラシステムを他社に先駆けて投入したことにより、勢力図は大きく塗り替わった。ミノルタが、あっという間に、オートフォーカス一眼レフ市場でシェアNo.1になった。

一世を風靡した「ミノルタα7000」(ソニー公式サイトより)

本来、キヤノンは、全く新しいオートフォーカス一眼レフ「EOS」を1990年頃に出すつもりだったと言われている。1985年に発売された「ミノルタα7000」が瞬く間に市場を席巻してゆくのを見て危機感を強め、予定を前倒しにして1987年に本格オートフォーカス一眼レフ初号機「EOS650」を発売した。

実際、プロ機であるキヤノンEOS-1(初代)は、1989年の発売である。キヤノンは、「EOS」に、マニュアルフォーカス一眼レフ時代の「FDマウント」とは全く互換性のない、新規格「EFマウント」を採用し、当初より「完全電子マウント」(機械接点を持たない)とした。カメラ本体には、レンズを駆動するモーターを持たない。モーターの小型化が進んだことにより、レンズ側にモーターを載せることが可能になった。一方、ニコンは、1959年以来の「ニコンFマウント」を継承し、マニュアルフォーカスレンズとの互換性を保った。

ミノルタもニコンも、当初は、カメラ本体にレンズ駆動用モーターを入れ、シャフトを介して、機械的にレンズの焦点を合わせていた。一眼レフカメラの交換レンズは多岐にわたる。そのため、必要とされるモーターのスペックは多種多様だ。後に、当初はボディ内モーターを採用したカメラメーカーも、レンズ内モーターに改めてゆく。キヤノンには、先見の明があったのだ。

キヤノンのフルサイズミラーレス一眼初号機「EOS R」を見て、1987年に発売された本格オートフォーカス一眼レフ初号機「EOS650」を思い出した。「EOS R」は、「EOS650」同様に、ハイエンドを狙ったプロ機ではない。厳密にいえば違うのだが、スペック的には「EOS5D Mk4」のミラーレス版と言えなくもない。

キヤノン「EOS R」(公式サイトより:編集部)

おそらく、2020年のオリンピック前に、キヤノンは同社のフルサイズミラーレス一眼初のプロ機を出してくるのではないか。20fpsの驚異的な連写能力を誇るソニーα9を撃破するスペックとなろう。

ソニーa9

フルサイズミラーレス一眼市場は、戦国時代に突入した。2020年の東京オリンピックの会場に陣取る、大砲のような、スポーツカメラマンが持つ超望遠レンズの色で、プロ機の世界における3社のシェアがだいたいわかる。

白+赤鉢巻 キヤノン

キヤノン公式サイトより:編集部

黒 ニコン

ニコン社プレスリリースより:編集部

白+黒+オレンジ色の「G」マーク ソニー

ソニー公式サイトより

フルサイズミラーレス一眼市場の動向には、引き続き注目してゆきたい。

長井 利尚(ながい としひさ)写真家
1976年群馬県高崎市生まれ。法政大学卒業後、民間企業で取締役を務める。1987年から本格的に鉄道写真撮影を開始。以後、「鉄道ダイヤ情報」「Rail Magazine」などの鉄道誌に作品が掲載される。TN Photo Office