全国の選挙区事情に詳しくないと政治は語れない

政治家の行動のかなりの部分は、その選挙区事情で決まる。有名政治家でもライバルがいて選挙ごとに薄氷を踏む思いでは中央政界での動きも鈍くなる。また、加計学園騒動の裏には、塩崎恭久元厚労相と中村時広知事の親子二代にわたる伊予戦争の因縁がある

各選挙区の事情を知りたければ、いちばん便利な資料は「国会便覧」というロングセラーがあるが、直前の選挙の結果とか現職国会議員の経歴は載っているが、残念ながら、解説はついていないし、経緯も分からない。結局のところ、全国の政治の状況はベテランの政治記者や、古参秘書の人たちの門外不出のノウハウになっているのかもしれない。

選挙の直前になると週刊誌に全国の選挙区の情勢が載っているが、結果の予想だけだ。そこで、各都道府県の政治風土や政治史、歴代知事の業績、そして、最近の3回の選挙の状況や国会議員たちの履歴や人柄をコンパクトにまとめた本をつくってみた。

八幡和郎
啓文社書房
2018-10-18

 

「民族の世界史」などがベストセラーになっていて、アゴラでもおなじみの宇山卓栄さんにも手伝ってもらって一部を書いていただいた。政治記事やブログを読むとき、一緒に読んでもらうと便利な本だと思うし、選挙のプロからもたいへん評価していただいている。

ここでは、総裁選挙のときに散々取り上げた石破茂氏の地元事情をみなさんに知ってもらうために、鳥取県の分のうち石破茂氏に関連する部分を抜き出して皆さんに紹介したいと思う。(以下、敬称略)

鳥取(因幡・伯耆) 石破茂の父がつくった大山観光道路

石破二朗氏(建設事務次官時代、Wikipediaより:編集部)

石破茂元防衛相の父、二朗は建設官僚で鳥取県知事を務めた。茂のプロフィールには鳥取県八頭町出身とあるが、出生地は東京といわれる。父親の知事就任で鳥取に移り、鳥取大学教育学部付属中学から慶応普通部、慶応大学、三井銀行を経て父の死を受けて28歳で代議士になった。安倍内閣では地方創生相を担当したが、ほかの有力政治家もそうだが、30年以上も代議士をしてきた地元が不振なのだから根本的な発想の転換が欲しかった。

戊辰戦争でどちらにいたかで差別があった、といった俗論がいかに馬鹿げているかが分かるのが、鳥取県がたどった運命である。明治4年(1871年)には因幡国と伯耆国を包括した形で発足したが、9年(1876年)には島根県に吸収されてしまい、その5年後になって、やっと分離独立したのである。そもそも鳥取藩は33万石で松江藩は19万石である。しかも、鳥取藩は中立的だが勤王寄りで、松江藩は佐幕だった。

にもかかわらず、因幡・伯耆2国は、松江を県庁とする島根県の下風に立たされたのだ。因幡と伯耆だけでは小さいというなら但馬でも県域に入れてもおかしくない。鳥取では場所が偏りすぎているというなら、石見を山口県に入れて、米子でも県庁にしてもいいのだから、鳥取は著しくプライドを傷つけられた。そこで、激しい分離運動の結果、やっとの思いで、松江の支配からは脱したというわけだ。

因幡は稲場、稲庭など稲と関連する言葉から転じたという説が多く、早くから米の作付けに向いた土地だったことを窺わせる。戦国時代の守護であった山名氏時代からの城もあって、羽柴秀吉に兵糧攻めにあって陥落したが、江戸時代には池田氏の領国となった。岡山藩が本家だが、鳥取藩の藩祖の母が徳川家康の娘だったお陰で、家格も石高もわずかながら鳥取が上とされた。鳥取という地名は全国各地にあり、水鳥が多くいたことによるものであろう。

伯耆の語源は諸説あるが、ホオノキ(朴の木)というモクレンに近い樹木でないかというのも一つの可能性だ。

相沢英之氏(公式ブログより)

相沢英之(経済企画庁長官)はもともと横浜が地元で、生まれたのは、父親の勤務地だった大分県宇佐市。大蔵事務次官だったが。都市部の横浜では出馬がなかなか難しく、妻の女優司葉子が鳥取県境港市出身であることから、その故郷から出馬した。当時は大蔵事務次官ともなれば大きな利益を地元にもたらしてくれるとみられたのである。

大蔵省ではもっぱらといってよいほど主計局でのキャリアが長かった。事務次官をつとめたときは、田中首相の意を受けて、景気が過熱気味であったにもかかわらず積極予算を組んで批判された。

ところが、代議士に当選後は田中がロッキード事件の渦中にあったのでそれを避けて田中の怒りをかったといわれる。それまでは、大蔵次官をつとめたらすぐに大臣になれたものだが、相沢からは当選回数どおりになり、経済企画庁長官として入閣するまでに14年間もかかってしまった。

【歴代知事】のうち石破二朗の項目

石破二朗(1958年)は八頭郡郡家町(現八頭町)出身で、東京大学法学部から内務省入りし、戦後の鳥取大火復興事業にも建設省都市計画局長として貢献し、事務次官を務めた。東部で圧倒的な強さを見せ、現職を破った。大山有料道路、境港港整備、奥日野ダム建設、皆生海岸の護岸、国道九号線の整備、新産業都市の指定、中海干拓などに辣腕をふるい、県内のインフラは急速に改善された。ただ、工場誘致などは結果が出ず、その意味では、不満を残すこととなった。

石破は4期目の最後の1年を残して辞任し、参議院選挙に出馬した。平林鴻三(1974年)は岩美郡にルーツがあるが兵庫県で生まれ東京大学法学部から自治省へ。県の総務部長だった。福祉優先を唱え、高齢者福祉などについては全国でも先進的といわれた。3期目の途中で県政百周年事業を機に辞任し、のちに衆議院に転出し建設相などを務めた。

こんな政治家も

社会党の野坂浩賢は日本通運労組出身。亀井静香や野中広務との太いパイプで知られ、自社さ政権誕生の立役者のひとりである。村山内閣では建設相や官房長官をつとめた。ただ、1996年の総選挙には、ほかの大臣や政務次官経験者と同じく出馬せず、社民党の衰退の原因となった。

最近の衆参議員選挙の状況

◇第1区:石破は三井銀行勤務元行員。’94年、新進党の結党に参加するも、’97年に自民党に復党。小選挙区創設以来連勝。父は知事、参議院議員、自治相の石破二朗。’09石破茂(自)。’12石破茂(自)。’14石破茂(自)。’17当 石破茂(自⑪)106,425、次 塚田成幸(共)20,829。

◇参議院(定数1 →廃止)