安倍訪中への歓迎ぶりを国家元首と比べるなかれ

八幡 和郎

今週は安倍訪中を機に、「夕刊フジ」で、「日本は太陽・中国には月」という連載をしている。また、「中国と日本がわかる 最強の中国史」(扶桑社新書)を出したばかりでもある。

夕刊フジの内容は、1日遅れで、電子版のZAKZAIに掲載されているが、その内容をさらに加筆してアゴラにも少し遅れるが同趣旨の内容を掲載することにする。

9月の日中首脳会談(官邸サイト:編集部)

安倍晋三首相が25日から中国を公式訪問する。ただし、首相になって初めての訪中ではない。2014年に北京でのアジア太平洋経済協力会議(APEC)の首脳会議で、16年には杭州での20カ国・地域(G20)首脳会合の機会に訪中している。

ただし、これは他国の首脳と一緒で、公式訪問としては初めてということだ。

戦後における日中間の首脳往来は、1972年の田中角栄首相による国交正常化交渉のための訪中に始まる。そして、1978年には、ようやく権力を掌握した鄧小平副首相が日中平和条約締結のために訪日した。この訪日で、鄧小平は日本各地をみてまわり、また、自民党幹事長だった大平正芳との会談で、改革開放を進めていくための重要なアドバイスを受け、これで腹が固まった鄧小平は、帰国して一気に自由化路線を進めることになったわけで、中国現代史においてターニングポイントになった。その後も、相互訪問が頻繁に行われてきて、私自身も1993年の細川護熙総理の訪中に同行したことがある。

だが、江沢民の対日強硬路線のあと対日融和派といわれた胡錦濤のもとで関係回復が期待されていたにもかかわらず、2001年に就任した小泉純一郎首相が靖国参拝を強行したことと、09年からの民主党政権下においては、沖縄県・尖閣諸島問題が複雑化して両国関係は疎遠となり、首相公式訪問は、11年の野田佳彦首相のときから7年ぶりである。

元首訪問についていえば、中国からは1980年に華国鋒共産党主席、98年に江沢民国家主席、2008年に胡錦濤国家主席が訪日している。このうち、江沢民の訪日のときには歴史認識問題がもちだされ、これを拒絶した小渕総理とのあいだで気まずい雰囲気となった。

日本からは1992年に天皇陛下が訪中されている。1989年の天安門事件の余波での中国の外交的孤立からの脱出のために中国側から強い要望があって実現したもので、賛否についてはいまも論争のたねである。

中国にとって苦しい時期だったから、戦争のことなどであまり注文をつけられなかったのは成功だったが、中国側からすれば禊ぎになったわけで、それが日本や皇室の国際的なイメージアップになったかは疑問だ。そして、習近平国家主席の訪日が、来年に実施される方向で検討が進んでいる。

安倍首相の今回の訪中は、前回の野田訪中と同様、「首相の招待」という従来の慣例によるものだ。国賓としての訪問は天皇陛下によるものなので、それとは性格が違うのである。

待遇も、米国やフランス、韓国などの大統領と同等のものとはなり得ず、英国やドイツの首相へのそれと比較すべきであるが、どうせ、偽リベラル系マスコミは「冷たい扱い」と無知なふりして揶揄して誹謗中傷するだろうから、あらかじめ、クギを刺しておく。元首級の国賓扱いと比較するものがいたとしたら救いがたい無知であるか悪質なアジテーターだということだ。

私は「反安倍という病」(ワニブックス)などで、「安倍首相 VS 習主席 外交戦争の勝者」といってきた。

2012年に両者は就任した(党総書記。国家主席主任は翌年)。習氏は巨大経済圏構想「一帯一路」を唱えて覇権主義的な外交を強気に進め、日本は敵視でなく軽視する路線をとった。

これに対し、安倍首相は「自由と民主主義」を基調とした、「価値観外交」で対抗してきたのである。

この闘いは、習氏が将来にわたっても民主化を進める気がなさそうであることを世界に知らしめ、欧米の安全も脅かしそうな行動に対しての警戒感が高まり、「安倍首相の勝利に終わった」。

それを受けて、中国の方から日中関係の改善のために手を差し伸べたのが今回の安倍訪中である。警戒感を解いてはダメだが、日本も世界に対して使えるカードはたくさん持っていた方がいいに決まっている。

八幡 和郎
扶桑社
2018-09-04

 

八幡 和郎
ワニブックス
2018-09-07