バチカン大使館の人骨は何を語るか

長谷川 良

イタリア・ローマのバチカン大使館別館の改装作業中、人骨が発見された。バチカン側はイタリア警察に即通報。ローマ検察は人骨の年齢、性別、死亡時の確認のために法医学者を派遣したという。バチカン・ニュースが30日報じた。

▲バチカン大使館内で人骨が発見されたことを報じるバチカン・ニュース(2018年10月31日、バチカン・ニュースHPから=写真はイタリア通信社)

バチカン大使館内の人骨発見が報じられると、イタリアのメディアではこの人骨が1983年に行方不明となったバチカン職員の娘エマヌエラ・オルランディ(Emanuela Orlandi)さんではないかと推測する記事を流している。

通称「オルランディ行方不明事件」は1983年6月22日に遡る。法王庁内で従者として働く家庭の15歳の娘、エマヌエラ・オルランディさんはいつものように音楽学校に行ったが、戻ってこなかった。関係者は行方を探したが、これまで少女の消息、生死すら分からずに35年の歳月が過ぎた。その間に様々な憶測や噂が流れた。

代表的な意見としては、少女は誘拐され、殺害されたという誘拐殺人説だ。それに関連してマフィア関与説。いずれもそれを裏付ける証拠はない。ある者は「少女はテロリストの手にあって、彼らはヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件(1981年5月13日)の犯人、ブルガリア系のトルコ人、アリ・アジャ(Ali Agca)の釈放との引き換えを要求するのではないか」と言い、また、マフィアのデ・ぺディス一味が少女を誘拐し、その後、殺してトルヴァイアニカの海岸にセメントで埋めた というのだ。

最近では、バチカンの暴露記事で著名なジャーナリスト、エミリアーノ・フィッティパルディ(Emiliano Fittipaldi )が昨年9月19日、一つの文書を公表した。これは1998年に書かれたもので、バチカンが1997年まで行方不明となった少女のため約34万ユーロ(約4500万円)を支出していたことが記述されていたのだ。これが事実とすれば、少女は少なくとも97年まで生きていたことになる。

ジャーナリストは、「この文書が本物とすれば、バチカンは少女の行方不明の背景を知っていたことになる。それともバチカン内の陰謀のため書かれた偽文書かもしれないが、その内容はショッキングだ。全て謎の答えはバチカン内で見つけなければならない。バチカンは事件の捜査を開始すべきだ」と要求している。

ローマのサン・タポリナーレ教会の本堂に埋葬されたマフィアのボス、エンリコ・デ・ぺディス(Enrico De Pedis)の墓に別の「人骨」が見つかり、その「人骨」が行方不明の少女のものでないか、という噂が流れたことがある。イタリア司法省は2012年5月、事件の捜査を再開したが、情報は間違いと分かった、といった具合だ。

いずれにしても、「オルランディ行方不明事件」はイタリア犯罪歴史でも最も謎に満ちた事件といわれる。バチカン大使館内で「人骨」が発見されたというニュースが流れると、どうしても同事件と関連して憶測する記事が流れることになる。「人骨」のDNA捜査の結果が出るまで1週間ほどかかる。それまで現時点では何も断言できない。

明確な点は、バチカン大使館内で「人骨」が見つかったということはバチカン関係者がその身元を知っている可能性が高いことだ。外部の人間が死体をバチカン大使館内に運んで埋めるということは通常考えられない(「バチカン、少女誘拐事件に関与?」2017年9月21日参考)。

当方は最近、米TV犯罪捜査ドラム「ボーンズ、骨は語る」を観ている。12シーズン続いた番組で米国では昨年3月、放映が終了した。法人類学者のテンペランス・ブレナンがFBIのシーリー・ブース特別捜査官を助け、「人骨」となった人間の身元を解明し、犯人を捜すというストーリーだ。当方は学生時代、頭骨から顔を再構築する「復顔術」に非常に興味を持っていたこともあって、「ボーンズ」シーズンを時間があれば見てきた。現在、3シーズン目に入っている。

殺人事件が発生した場合、捜査側はまず死体を検査する。死体の状況を検査することで、犯行状況から犯人割り出しまで判明するケースは少なくない。21世紀の現在は「死体」に留まらず、「骨」すらその歴史を語る時代になってきた。DNA分析などの最新法医学技術を駆使することで、「人骨」の歴史が浮かび上がってくる。

バチカン大使館内で発見された「人骨」がどのような歴史を語るだろうか。「オルランディ行方不明事件」は事件発生から35年しか経過していない。ちなみに、欧州のローマ・カトリック教会では2日は「死者の日」(Allerseelen)で、多くの人々が花を買って先祖や知人のお墓参りに出かける日だ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年11月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。