安倍訪中めぐる評価は分かれるところだが、否定的に見る人でもこれだけは良かったということがある。
それは、韓国での徴用工判決でしばらく韓国との友好どころでないなかで、中国と韓国が組んで日本を攻めるという心配が少なくとも緩和されることだ。
日本と中国と韓国・朝鮮の関係において、韓国・朝鮮が両大国のあいだを上手にとりもってくれるという期待をする人もいる。しかし、東アジアの歴史を見たらそんな期待はしないほうがよい。
だいたい、半島国家同士の対立とか国内の派閥が日中それぞれを利用しようとして、結果、日中の対立を引き起こしたことの方が多い。
新羅・百済・高句麗の対立に巻き込まれて日本は唐と白村江の戦いをするはめになったし、近代にあっては、高宗の父である大院君と閔妃が日本と清とに取っ替えひっかえつくので日清戦争が起きた。
はじめは、開明派の閔妃が日本、守旧派の大院君が清だったが、日本と組んだ閔妃を清と組んだ大院君が追い出し、しかし、余り無茶だというので、清は大院君に日本に謝罪させた。
ところが、こんどは閔妃が清と組んで大院君を天津に拉致させ、清と閔妃が組んだ。しかし、閔妃がロシアに接近したので、清と日本は大院君を復帰させた、いったん大院君は日本寄りになるが、また、清と組んで日本を追い出そうとして日清戦争が起きた。
そのあともさまざまな勢力がロシアと日本を天秤にかけて隠したあげく日露戦争が起きたので、列強も日本が併合したほうがいいということになったのである。
そもそも、弥生人と稲作のルーツは中国の江南地方であって朝鮮半島ではない。日本は大陸文化を百済から吸収した時期があるが、その担い手は百済在住の漢族であって、百済の支配層だった扶余族でも韓族でもなかった。帰化人もほとんど漢族であって扶余族がそれに次ぎ、韓族などほとんどいなかった。日本人の祖先のなかで韓族はごくわずかしかいないはずだ。
そして、百済は現在の韓国につらなる唐と新羅に滅ぼされて支配層である扶余族のかなりは日本に逃げてきたのだから百済の貢献について現代の韓国に感謝するいわれはない。しかも、百済は日本のある種の従属国で支援を受けてたのだから、お互い様で、百済に一方的にお世話になったというわけでない。
近代においては、日本が中国や韓国・朝鮮の近代化に一方的に貢献しただけだ。
そうした歴史的な経緯はよこに置いたとしても、もし、韓国・朝鮮が虚心坦懐に日中友好が自分たちの安全と繁栄のために好都合だと考えて、日中の橋渡し役をしてくれたら素晴らしいことだ。
仏独のあいだでベネルクス三国などある程度はそういう役割を果たしないわけではない。しかし、韓国・朝鮮にそういう役割を果たそうという機運もないし、できそうもない。
そんなことはあきらめて、日中の関係をしっかりしたものにするように心がける方がよほど建設的だ。韓国・朝鮮は漢字を使うのも止めたから同じ文化圏ではもはやないということもある。
かつて、小和田恆氏らが日韓関係を仏独関係のようなものにしたいと動いていた時期があった。しかし、ヨーロッパにおける仏独関係に匹敵するのは日中関係であって日韓関係だ。
日韓関係に近いのは、イギリスとアイルランドとかフランスとアルジェリアの関係だろう。
こう書いてくると、韓国・朝鮮を軽く見ているように聞こえるかのしれないが、そうではない。日本と中国の関係が良ければ、韓国・朝鮮の国際的な居場所は非常によいものになる。ふたつの大国が形成する巨大な市場が半島の人たちの生活と経済を潤すことはいうまでもない。
唐の時代に遡ると、日本と唐が蜜月だった時代にあっては、新羅の政府はなにもすることがなかったが、新羅の商人たちは大活躍して遣唐使など公式の交流を立派に補完していた。
中国で廃仏毀釈という災難にあった慈覚大師円仁が無事に帰国できたのも彼らのおかげである。
11月9日のシンポジウムでは、日中だけでなく、そういう日中と韓国との関係についても話したいと思っている。
また、「世界と日本がわかる 最強の世界史」「日本と世界がわかる 最強の日本史」「韓国と日本がわかる 最強の韓国史」「中国と日本がわかる 最強の中国史」(扶桑社新書)はそうしたさまざな国のかかわりを立体的に理解して頂くために、さまざまな事象を同じ著者の視点から角度を変えてみたらどうなるかという試みのつもりだ。