19日、朝日新聞が日産自動車会長でルノーCEO、三菱自動車会長も兼務するカルロス・ゴーン氏が逮捕されるとのスクープ記事を発表し、世界は騒然となった。
その後、報道どおり、羽田空港に日産のプライベートジェットで降り立ったところを東京地検特捜部により「任意同行」された。同日夜には、東京地検特捜部は、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)の疑いでゴーン氏を逮捕し、日産本社など関係先を家宅捜索して資料を押収したと発表した。すぐさま、日産の西川社長が会見を開き、ゴーン氏に大変な不正行為が発覚したため、取締役会で彼の解任を要求するとのコメントを発表した。
21日に東京地裁がゴーン容疑者の10日間の勾留を認めたため、いまや彼は3畳ほどの独房に入れられ連日取り調べを受けることになってしまった。これまでの報道によると、ゴーン容疑者の罪状は、パリやニューヨークなどに日産の海外子会社を通して購入した豪邸に無償で居住しており、その「実質的な」報酬を有価証券報告書に記載していなかった、というものであるから、その暮らしぶりは天国から地獄に落ちたことになる。
『豪邸生活から3畳の単独室 ゴーン容疑者の生活は』テレ朝ニュース(2018年11月21日)
すでにおびただしい数の記事が今回の世界的な自動車産業のカリスマの逮捕劇について書かれている。単なる出世欲からの日産の役員によるクーデター説から、フランス政府(ルノーの大株主でルノーは日産の大株主である)の陰謀を日本の司法当局が阻止したというものまで、多くの識者がこの事件の背後にあるものを読み解こうとしている。大前研一氏が半年前に書いた記事が、今回の事件をある意味で予見していたことも話題になった。
『日産・ルノー経営統合説 浮上で問われる重大疑問』大前研一、NEWSポストセブン(2018年5月22日)
『日産・ルノーの統合を計画していたゴーン氏』FT.COM(2018年11月21日)
法律論も盛んに議論されている。そもそも形式的には会社が買った住宅に社員を住まわせるという社宅と同じものであり、いきなりの逮捕が正当なものなのか、という疑念がある。
その点では、形式的には一つひとつの取引は合法的であるが、全体を通して見るとそれは実質的に粉飾決算だ、と断罪されたライブドア事件を思わせる。当時もIT起業家を代表する堀江貴文氏が電撃的に逮捕された。一方で、過去の成功から強大な権力を手にしたゴーン氏が、私欲のために会社を私物化していたとの見方もあり、今回の逮捕は当然の結末だという意見もある。
『ゴーン逮捕は勇み足? 日産のクーデターに加担した東京地検特捜部の受難』AERAdot.(2018年11月21日)
『日産ゴーン氏、結婚披露宴はベルサイユ宮殿で「裏報酬」加えると自動車業界で世界1の高給取り』木村正人(2018年11月21日)
さて、以上のような論点は、それにふさわしい識者たちによりすでに論じられているので、筆者が最近、特に感じている日本の大きな歴史的な動きについて書いておきたい。それは、いま日本は、まるで幕末のように開国と攘夷で揺れているのではないか、ということだ。有り体に言えば、グローバル化である。欧米では20年以上も前に起こったことだ。
しかし、一方で格差が広がり、政治的にはいまその反動が来ている。トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」の掛け声はそうした反動を象徴するものだ。
日本だけはこうしたグローバル化から無縁だった。もちろん、日産自動車のような日本の企業は世界にモノを輸出している。食料やエネルギーを輸入している。日本はモノの移動に関しては大いにグローバル化している。それは江戸時代に続いた200年以上の鎖国を解かれて以来のことである。安倍政権もTPPなどに積極的で、さらにモノのグローバル化を促していく方向だ。
しかし、日本はヒトに関しては、まったくグローバル化していないのだ。政治家のほとんどは日本で生まれた純粋な日本人だし、先日話題になっていたが、経団連の幹部は極めて同質的なバックグラウンドである。レバノン人の両親の間にブラジルで生まれたゴーン氏がルノーのCEOになったり、今夏のワールドカップで優勝したサッカーのフランス代表の3分の2が他国にルーツを持ち、人種も多様だったのとはずいぶんと対照的だ。前述のように、最近は一部で反動が来ているものの、欧米社会では多様性を尊重することは素晴らしいことだとされており、実際に推進されてきたのだ。
『経団連、この恐るべき同質集団』日経新聞(2018年6月21日)
筆者は海外で学位を取り、東京オフィスとはいえ外資系の金融機関で長年働いていた。いまも海外によく行く生活をしている。そして、つくづく思うのだが、大学入試から会社での働き方まで、日本社会は非常に特殊である。その特殊性ゆえに先進国の中で日本はヒトのグローバル化を押し留めてきたのだ。
こうした特殊性は、貿易不均衡の問題では非関税障壁などと呼ばれ非難の対象となり、日米貿易摩擦が問題になった30年以上も前から言われていることで、何もいまにはじまったことではない。ずっと特殊だったのだ。とにかく日本の人事というかヒトに関する制度は世界の中で特殊である。
幕末の開国と攘夷の議論になぞらえれば、この特殊性をなるべく取り除き、欧米を中心としたグローバル経済圏にそのまま日本経済を接続しよう、というのがいまの開国派の考え方だ。逆に攘夷派は、たとえば移民反対、英語教育反対で、これまでのようにモノのグローバル化だけに留めて、日本のいまのシステムとヒエラルキーを温存したい。
開国派はグローバル化でモノだけでなくヒトも自由に出入りして、日産でゴーン氏がそうしたように企業の共通言語も英語にして、グローバル経済の完全な一員になることこそが日本が豊かであり続けるために必要だと信じている。攘夷派は、日本を閉じてガラパゴス化のなかでうまくやっていくことで日本の富が守られていると信じている。もっとも、幕末でも開国vs攘夷で単純に二分できなかったように、現代の攘夷派の一部も労働力不足から移民政策に賛成していたり、と話はそう単純ではないのだが。
いま安倍政権が移民政策を推し進めようとしていたり、ゴーン氏のように破格の報酬を受けて活躍する外国人経営者が増えたり、あるいは単に円安で外国人観光客が急増したり、といよいよ日本でもヒトのグローバル化が本格的に起こってきた。幕末には黒船の来航という大きなイベントで開国(モノのグローバル化)に踏み切ったわけだが、今回はなし崩し的に開国(ヒトのグローバル化)しつつある。日本の経済的地位が相対的に低下する中で、国内の開国派の声がどんどん大きくなってきたこともある。
そして、こうした流れに不満を持つ攘夷派が、さまざまな場面で反撃をしている、というのが筆者が感じていることなのだ。
今回のゴーン氏逮捕劇は、とうとう日本でも起こり始めたヒトのグローバル化が、再び鎖国の方向に揺り戻される象徴的な事件となるのだろうか。あるいは、ハリス襲撃事件など幕末の開国後に頻発した外国人襲撃事件のように、たびたび攘夷派による反撃はあるものの、結局は、グローバル化という大きな流れに抗うことができない、ということなのだろうか。
『週刊金融日記 第344号 カルロス・ゴーン氏逮捕と日本の権力中枢について』