おととい(1月15日)夜、阪神・淡路大震災で大きな被害をうけたJR六甲道駅を復興させた男たちの関西テレビ60周年特別ドキュメンタリードラマ『BRIDGE』が放送された。
このドラマは震災で線路ごと崩落するなど壊滅的な被害にあったJR六甲道駅を当初2年かかると言われていたが、わずか74日間で復旧させた男たちの壮絶な復旧工事と人々の関わり合い方を描いたドラマ。
椎名桔平、吉田羊、高倉昭、野村周平、ユースケ・サンタマリア、桂文枝らが演じた。
ドラマ中の出来事にドキッとした、震災がくるか心配などの声
そのドラマの放送終了間際に阪神・淡路大震災の震源地である淡路島で震度2の地震が発生するという出来事が起きた。
しかも六甲道駅が完成するシーンの直後だった。
筆者は、「震災のこと忘れんといてやという天からのメッセージや、拡散されることで地震を少しでも風化させずにすむかもしれん」と思い、筆者は急いでドラマ中に地震が起きたシーンをスクリーンショットし、Twitterにアップした。
すると、250以上のリツイートと500近いいいねをされいまだに数字は増え続けている。
筆者のTwitterには、《震えた。開通シーンのあとまさかの淡路島洲本で地震》、《被災経験者ですが、ドキッとしました。また震災がくるのではと心配です》、《阪神淡路と同じ震源地、神様が何か伝えている》などと筆者の元に開通シーン直後に地震が起き驚いた人や再び震災がくるのではないかと心配の声が寄せられた。
被災経験者が若者へ伝える事の意義
筆者は震災当時阪神地域に在住し、震度7の激震にあった。
電気は約1週間、水道は2週間、ガスは3ヵ月復旧を要したり、近くのスーパーが倒壊し食料の確保に困るなど被害に。
特に水道が復旧するまでの2週間は、尿や便が便器にいっぱいになるたびに外に捨てに行き、外の水をくんで自宅へ戻ってきて便器の中に入れる繰り返しが苦痛だった。
男2人、女3人の5人で生活していたため、いっぱいになるペースが早い。
街中が異臭に包まれ、近所の人たちと「はよ、水道復旧してほしいな、せやけど贅沢は言われへん、もっと辛い思いしてはる人たちは仰山おるんやからな」と言うのが合言葉だった。
2週間後、水道が再開した時、近所で拍手と歓声が飛び交ったのは今でも記憶している。
筆者の家族は被害にはあったものの、全員無事だった。
母親は7年前に脳梗塞や3年前に大腸ガン、祖母が7年前に認知症を発症。母親は快方したものの、祖母は認知症が進行し在宅介護で6年間みたが限界で昨年11月末施設へ入所した。
とはいうものの、全員生きているだけでもありがたい。
震災の話は1.17の日ぐらいでそれ以外口にすることはほとんどなくなり、ライフライン、公共交通機関、食糧、住居など不自由な生活を送ったことを忘れてはしまっているのは筆者だけではないはずだ。
この間、近所の22歳の大学生と話す機会があった。
筆者「阪神大震災って知ってる?」
大学生「テレビでみたり、学校で少し勉強したことあるぐらいですねえ、確かこの辺りでも被害が大きかったんですよねえ」
筆者「ああ、そうか。若いから知らんねんな、あの道路あるやろ震災の時にヒビが入ってな、今もそのままやねんで」
大学生「へえ、傷跡ってまだ残ってるんすねえ」
震災から24年ということは10~20代位の人たちは震災の後に生まれたか生まれても小学校ぐらいまでの年齢で被災地域の若者ですらほとんど記憶にない。
だから、被災経験者と若者が対話できる場がもっと増えることが望ましい。
今回ドラマ中に地震が発生したのは、きっと天から「震災のこと忘れんといてや、伝えていってや頼むで」ということを改めて被災経験者も教えられたのではないだろうか。
震災を風化させず後世にどのように伝えていくか、我々に与えられた使命は大きい。
—
奥村 シンゴ フリーライター
大学卒業後、大手上場一部企業で営業や顧客対応などの業務を経験し、32歳から家族の介護で離職。在宅介護と並行してフリーライターとして活動し、テレビ、介護、メディアのテーマを中心に各種ネットメディアに寄稿。テレビ・ネット番組や企業のリサーチ、マーケティングなども担当している。