一連のいわゆる徴用工判決問題で、日本が30日以内に回答を求めていた仲裁協議入りの提案に、韓国は無視を以って応じた。レーダー照射問題などを考え合わせると、韓国に正論が通用しないことは百も承知だが、今後この問題に日本が向き合う時に念頭におくべきことを、敢えていくつか考えてみた。
この問題を論じる時、これまで日本の論者が重視し過ぎたことと軽視し過ぎたことがあるように筆者は思う。前者は原告らが募集に応じて内地に来た者らであって徴用工ではないということであり、後者は賠償の対象が未払い賃金というよりも慰謝料であるということだ。
大法院は判決理由でこう述べている。
(動員は)日本政府の朝鮮半島への不法な植民地支配や、侵略戦争の遂行と結びついた日本企業の反人道的な不法行為(である。略)。(原告が求めているのは)未払い賃金や補償金ではなく、強制動員被害者の日本企業への慰謝料請求権(である。略)。(これは請求権)協定の適用対象に含まれない。
新日鉄住金訴訟の原告らが元徴用工でないことは当初から判決文に明らかだった。が、三菱重工訴訟の原告には元徴用工が含まれる。かつ大法院は日本の統治自体を「不法な植民地支配」とし、その下では徴用であろうと応募であろうと同じ「強制動員」という立場だ。従い、日本側がこの件を声高に言うのは得策でないと筆者は考える。
次に賠償の対象が主として「慰謝料」である点だ。これを考える前に二つ確認しておくべきことがある。一つは新日鉄住金訴訟の判決文であり、他は日韓請求権協定の「8項目」だ。
判決文はさらにこう述べる。
③ 原告らは成年に至っていない幼い年齢で家族と離別し、生命や身体に危害を受ける可能性が非常に高い劣悪な環境において、危険な労働に従事し、具体的な賃金額も知らないまま強制的に貯金をしなければならず、日本政府の苛酷な戦時総動員体制のもとで外出が制限され、常時、監視され、脱出が不可能であり、脱出の試みが発覚した場合には苛酷な殴打に遭いもした。
④ このような行為は、当時の日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した反人道的な不法行為に該当し、このような不法行為によって原告らが精神的苦痛を受けたことは経験則上明白。
次に判決文は「8項目」に触れてこう述べる。
② サンフランシスコ条約が締結された後、ただちに第一次韓日会談(1952年2月15日から同年4月25日まで)が開かれたが、その時、韓国側が提示した8項目も基本的に韓日両国間の財政的・民事的債務関係に関するものであった。上記の8項目中第5項に「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の返済請求」という文言があるが、8項目の他の部分のどこにも、日本植民支配の不法性を前提とする内容はないため、上記の第5項の部分も日本側の不法行為を前提とするものではなかったと考えられる。従って、上記の「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の返済請求」に強制動員慰謝料請求権まで含まれると考えることは難しい。
そこで「8項目第5項」中身だが、それは次のようだ。第5項以外は省略した。
第5項 韓国法人又は韓国自然人の日本国又は日本国民に対する日本国債、公債、日本銀行券、被徴用韓人の未収金、補償金及びその他の請求権の弁済を請求する。本項の一部は下記の事項を含む。
1. 日本有価証券
2. 日本系通貨
3. 被徴用韓国人未収金
4. 戦争による被徴用者の被害に対する補償
5. 韓国人の対日本政府請求恩給関係その他
6. 韓国人の対日本人又は法人請求
7. その他
本件で問題になるのは判決文にもある通り第5項だ。判決文は「被徴用韓国人の未収金、補償金およびその他の請求権の返済請求」と書いている。が、第5項の各事項を子細に見れば、その4.は「戦争による被徴用者の被害に対する補償」となっている。
が、判決文のどこを読んでも、(仮に募集に応じて内地に来た者も韓国のいう通り「被徴用者」に含めたとしても)、その者が被ったという「被害」に、判決文にいう「原告らが精神的苦痛を受けたことは経験則上明白」とした結果である「慰謝料」が“含まれない”とは書いてない。韓国流にいうなら、“含まれない”と書いてなければ“含まれている”とも解釈できる。
普通に第5項4.を読めば、「被徴用者」に纏わるあらゆることが「被害」になり得る。事実、この判決が出た時、日韓併合時に起きた何から何までが慰謝料の対象になるとして日本国内は騒然とした。が、「8項目」にそれが含まれるなら、それは協定の趣旨の通り韓国政府が補償すべき事案であり、日本には関係がない。
このように第5項4.は極めて重要だ。今後、第三者を含めた仲裁や国際司法裁判所に向かう場合も、頼りになるのはこの第5項4.だと筆者は思う。何かと非難される日韓基本条約の「旧条約無効条項」、いわゆる「もはや無効(already null and void)」の玉虫色解釈も然りだが、外務官僚はやはり馬鹿でない。
さらに、この第5項4.は元慰安婦の問題にも関係する。2011年8月30日に元慰安婦が韓国政府の不作為を訴えた裁判で、韓国憲法裁判所の判決文は次のように述べた。
3. この事件の背景 ア. この事件の協定の締結経緯及びその後の補償処理過程(11)には「日本軍慰安婦問題は、この事件の協定の締結のための韓日正常化会談が進行した間まったく議論されなかったし、8項目の請求権にも含まれず、この事件の協定締結後の立法処置による補償対象にも含まれなかった。
韓国は元慰安婦も「日本の不法な植民地支配下で強制動員された被害者」と一貫して主張している。ならば元慰安婦も「8項目」第5項4.にいう「戦争による被徴用者」ではないのか。元慰安婦に対する日本の立場は、国や軍による「徴用」や「強制」はないというものだが、仮に一部にそうでない者がいたとしても、それは「8項目」に含まれて韓国政府が救済すべき対象になるはずだ。
なお、この判決文にある「慰安婦問題は、(略)韓日正常化会談が進行した間まったく議論されなかった」というのは真っ赤な嘘だ。53年5月19日の第2次会談の公開議事録には、韓国側の張基栄代表の次のように質問が載っている。この質問は元慰安婦が性奴隷などでは断じてないことの証左でもある。なお、日本側は「南方占領地域慰安婦の預金、残置財産」の問題としてこれに誠実に答えている。
…韓国女子で戦時中に海軍が管轄していたシンガポール等南方に慰安婦として赴き、金や財産を残して帰国してきた者がある。軍発行の受領書を示して何とかしてくれと言って来るので社会政策的に受け取りを担保にして金を貸したこともある。
最後に、今後に予想されている元徴用工らによる韓国政府に対する訴えについて筆者の考えを述べる。おそらくこの訴訟の原告らは「慰謝料」ではなくて「未収金」について訴え、韓国政府は敗訴して賠償する、というのが筆者の見立てだ。一連の判決の肝は「慰謝料」という極めて曖昧なものの賠償である。が、「未収金」なら対象は限定的だ。この韓国政府への訴訟は仕組まれている、と考える方が良い。
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高橋 克己
年金生活の男性。東アジア近現代史や横須賀生まれゆえ沖縄問題にも関心あり。台湾や南千島の帰属と朝鮮半島問題の淵源である幕末からサンフランシスコまでの条約を勉強中。