一昨日は『建国記念の日』でした。
これは日本を統一した初代天皇である神武天皇が即位した紀元前660年1月1日(旧暦)が、新暦のこの時期に当たることから、『建国をしのび、国を愛する心を養う』という意味で祝日に制定されています。
ちなみに他国にもこうした記念日があります。
例えば、アメリカの独立記念日は7月4日、フランスの革命記念日が7月14日、中国の国慶節が10月1日、東西ドイツ統一の日が10月3日などです。
日本は古くからずっと一つの国ですから、独立や何かから勝ち取ったや、どこかと統一の日という意味ではなく、日本が建国をした記念の日です。
私は、建国記念の日に三重県伊勢市で開かれた第53回建国記念の日伊勢奉祝の集いで『日本再生の道』と題して記念講演をしました。新横浜から新幹線で名古屋に行き、近鉄に乗り換えて宇治山田まで行きました。建国記念の日の意味を知ってか知らずか、名古屋駅は何れにしても3連休最終日で大変な人混みでした。
さて、2月11日は、もともとは明治6年(1873年)に紀元節として祝日を制定されました。ところが敗戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の占領下にある昭和23年(1948年)に国民の祝日に関する法律が制定されましたが、紀元節に関してはGHQによって廃止されました。そして、サンフランシスコ平和条約で独立を回復した昭和24年に紀元節復活運動が起こります。昭和32年(1957年)に議員立法で祝日法の改正案が¥提出されましたが、衆議院で可決されるも参議院で審議未了廃案となりました。その後、9回の法案提出と廃案を繰り返し、昭和41年(1966年)6月25日に祝日法改正案が成立し、
同年、12月9日に建国記念の日の祝日が公布・施行されました。
9度の廃案、9年の歳月が掛かったということは、それだけ反対や論争があったということです。反対の主な理由はGHQと同様に、日本政府が国民よりも国家を優先する国家主義になる懸念でした。どうしてそのような理屈になるのかというと、天皇が統治する国、極端な言い方をすれば、全体主義国家になるではないかという考え方があったからです。そうした国家主義や全体主義は私も含め、誰も望んでいないと思います。民主主義国家としてその歯どめになる仕組みは、今では十分にあります。
もう一つ長期間論争になっていた要因は、日本書紀の正当性です。日本書紀の信憑性については専門家に任せるしかないと思いますが、そもそも西暦720年に書かれた日本書紀、執筆当時に、紀元前まで遡り、書の正誤を確かめる事は無理だと思います。法律制定時に、日本書紀の記載内容が正しいと確定していれば、建国日が確定しますので、建国記念日だったはずなんです。そうではなく、日本書紀には『確かにそう書かれている』という事であり、謂わば建国に至った経緯、伝承を記念する日ということで、建国記念の日となりました。
何れにせよ、神武天皇が実在していたことは間違いありませんし、その後、今上天皇まで125代続いてきたことも事実です。これを他国の人が知ったら、『スゲー』って事であり、このぐらいの事は日本人として知っておきたいものですね。
編集部より:この記事は、前横浜市長、元衆議院議員の中田宏氏の公式ブログ 2019年2月13日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。