「冒涜罪」はもはや時代遅れか?

スイスのニュースサイト「スイスインフォ」によると、同国で無宗派から「信仰への冒涜罪」の撤廃要求が出ているという。主張の根拠は冒涜罪が「言論の自由」を制限するからだという。「信仰への冒涜罪」とは時代錯誤の響きがするが、欧州人権裁判所は預言者ムハンマドを「小児性愛者」と呼んではならないという判決を下したばかりだ。欧州ではドイツ、イタリア、スペイン、ギリシャ、オーストリアなどは冒涜罪がある一方、フランスではない。英国、オランダ、アイルランドでは冒涜罪を廃止している、といった具合で「冒涜罪」の是非で欧州ではコンセンサスはない。

▲トルコのエルドアン大統領を風刺したべ―マ―マン氏(独週刊誌「シュピーゲル」2016年4月16日号の表紙から)

そこで冒涜罪として刑罰の対象となった過去の実例を振り返りながら、少し考えてみた。

①パキスタンで昨年10月31日、イスラム教を冒涜したとして死刑判決を受け、拘留されてきたキリスト教徒のアーシア・ビビさん(47)さんが同国最高裁から無罪判決を受けた。欧米のメディアでも大きく報道されたばかりだ。

事件の発端は極めてシンプルだ。ビビさんが井戸から水を飲んだ時、イスラム教徒から「お前が飲んだので水が汚れた」と中傷された。彼女は「私はキリスト信者だ。それではムハンマドは人のために何をしたの」と聞くと、イスラム教徒はツバを吐き掛け、彼女を押し倒した。その翌日、彼女はイスラム教を侮辱したとして逮捕され、2010年に死刑を言い渡せられた。パキスタンでは1980年代、イスラム教を守るために宗教冒涜罪を施行している。幸い、最高裁は今回、「証拠不十分」として判決を撤回した。ビビさんが無罪となったことが伝わると、イスラム教社会では激しい抗議が沸き上がっている。

②ロシアの女性パンク・グループ「プッシー・ライオット」(Pussy Riot) が2012年2月、大統領選挙中に、モスクワの救世主大聖堂の聖壇前で、「聖母マリアさま、プーチンを追い出して!」と歌い、正教会の神聖を犯したとして拘束。モスクワのハモヴニチェスキー地区裁判所は同年8月、禁固2年の実刑判決を言い渡した。

ロシア議会はその後、「信者の宗教的感情を侮辱する目的」で行われた教会やモスクでの活動に対して禁固刑や罰金を科す内容の冒涜罪を成立させた。2012年実施された世論調査では、ロシア国民の約49%は信者の宗教心を傷つけた場合、厳罰に処すべきだと考え、反対は約34%だった。

③武装した2人のイスラム過激派テロリストが2015年1月7日、パリの風刺週刊紙「シャルリー・エブド」本社を襲撃し、自動小銃を乱射し、建物2階で会議を開いていた編集長を含む10人のジャーナリストと、2人の警察官を殺害するテロ事件が発生した。
イスラム過激派テロリストの風刺週刊紙本社襲撃事件直後、300万人以上のフランス国民が反テロ国民行進に参加した。行進に参加した国民は同週刊紙の愛読者だけではなかった。むしろ、「言論の自由」というフランス革命の成果が攻撃されたことに対する憤りが強かった。人間本来の自由の謳歌を求めたルネッサンス運動は啓蒙思想と結びついて1789年、フランス革命を引き起こした。その革命で獲得した成果の一つが「言論の自由」を含む「自由」だった。

④ドイツ公営放送(ZDF)の風刺コメディアン、ヤン・べーマーマン氏(Jan Bohmermann)が2016年3月31日、”Neo Magazin Royale”の番組の中でトルコのエルドアン大統領を揶揄した風刺詩(Schmahgedicht)を披露。その内容に怒った同大統領はドイツ側に即抗議すると共に、同氏を名誉棄損で告訴した。べーマーマン氏の風刺詩はきわどい表現と侮辱に満ちた内容だった。

メルケル首相は同年4月15日、刑法(StGB)103条に基づき同氏へのマインツ検察当局の捜査を認可すると表明した。刑法103条では、外国の国家元首に対する名誉毀損事件の捜査にはドイツ政府による捜査権付与が必要と明記されている。ただし、メルケル政権内でも社会民主党のシュタインマイヤー外相(当時)やマース司法相(当時)はメルケル首相の決定に不満を表明した。同外相は「言論、報道、芸術の自由はわが国の基本法の中でも至上の問題だ」と述べている(「『風刺』はどこまで許されるか」2016年4月17日参考)。

以上、冒涜罪に関係する実例を挙げた。その事例はそれぞれ異なるが、冒涜罪と「言論の自由」に関連する内容だ。①はイスラム国でよくみられる典型的な冒涜罪の内容だ。その好対照は③だろう。フランスでは「言論の自由」を重要視するから、イスラム教の創設者ムハンマドを中傷し、冷笑するとしても公けでは批判されない。同国では「言論の自由」を束縛する冒涜罪は存在しない。

ロシアのメディアが「シャルリー・エブド」本社襲撃事件について、「言論の自由がテロを招いた」と指摘し、テロに遭った仏週刊紙に対しては、「風刺やユーモアではなく、冒涜と愚弄、醜聞で稼ごうという気持ちだ。欧州は伝統的価値観から逸脱し、堕落した」と厳しく論評していた。④では冒涜罪は存在するが、その是非で政権内では不一致という現状を露呈していた。

イスラム教系難民・移民が殺到した欧州ではイスラム・フォビアがみられる。それに対し、イスラム教徒の「宗教的感情を傷つける」という声を聞く。信仰への冒涜だ。一方、ホスト側の欧州では「イスラム教徒は招きもしないゲストだ。文句を言える立場ではない」といった少々厳しい反論も出ている。いずれにしても、欧州社会では今後もイスラム教徒の宗教的感情をどれだけ配慮するかが大きな問題だろう。

もちろん、「信仰への冒涜」はイスラム教に関わるだけの問題ではない。キリスト教社会でもあった。ビートルズが最高潮の時、ジョン・レノンが「僕はイエスより偉大だ」と叫んだというニュースが流れると、米国のキリスト教社会で大きな反発の声が上がり、ビートルズのレコードボイコット運動が起きたことがあった。レノンは冗談のつもりで発言したのだろうが、キリスト教根本主義的な信者の「宗教的感情」を傷つけたわけだ。

世俗化が急速に進む欧州社会では、宗教的な神性、宗教的感情といった世界に批判的になってきた。スイスで冒涜罪の撤廃を要求するのは人口の約24%を占める無宗派の人々だ。それに対し、欧州人権裁判所は昨年10月、冒涜の禁止を支持し、信仰への中傷は言論の自由から除外されるという判決を下している。同時に、誤った事実に基づいた発言は「言論の自由」から除外されるとしている。

ちなみに、スイスでは冒涜罪について「他人の信仰心、特に神への信仰を公かつ卑しく中傷する者、もしくは信仰上の崇拝対象物を侮辱する者は(中略)、罰金刑に科される」と明記している(スイスインフォ)。

フランスのテロ事件の直後、オランド大統領(当時)は、「反テロでわれわれは連携しなければならない」と強調したが、どのような「言論の自由」をわれわれは今後、命を張ってでも守らなければならないのか、真剣に考えるべきだろう。なぜならば、「言論の自由」というより、「言論の暴力」と言わざるを得ないような言論も少なくないからだ。べーマーマン氏の詩を「言論の自由」として擁護することに当方は抵抗を覚える(「どのような『言論の自由』を守るか」2015年1月11日参考)。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年2月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。