米朝首脳会談「物別れ」で拉致問題解決の好機到来

鈴木 衛士

先月末に行われた2回目の米朝首脳会談は、「朝鮮半島の非核化」に関わる交渉に進展がないまま協議は物別れに終わった。今回の協議でトランプ大統領が事後の会見で語ったような「制裁の全面解除」を金正恩委員長が求めたというのはにわかに信じがたい。

ホワイトハウスFBより:編集部

どちらかといえば、北朝鮮が隠していた新たな施設を含めたすべての核関連施設の破棄を会談当日にいきなり提示したのは米国側であって、この結末は予想通りの展開であったと今頃トランプ大統領は「ひそかにほくそ笑んでいる」のではないか、と筆者は勝手に想像している。まあこの真偽のほどはともかく、わが国にとって「この結果が日本人拉致問題解決にとり最大のチャンスをもたらした」ということは間違いないであろう。

今回の会談で金正恩委員長は、トランプ大統領との交渉が一筋縄では行かないことを身に染みて感じるとともに、「非核化交渉の長期化」と「早期の制裁解除は困難」という見通しを肝に銘じたことであろう。とすると、当面の措置として制裁解除に代わる経済支援の獲得手段をいずれかに追求しなければならなくなる。

ここで、日本に「白羽の矢が立つ」可能性が高まったと考えられるのである。わが国は何よりこの機会をとらえ、なるべく早期に北朝鮮と2002年に交わした「日朝平壌(ピョンヤン)宣言」に基づき、まずは拉致問題の解決へ向けての正式な交渉を始めるべきであろう。もうすでに、水面下ではこれへ向けての日朝間の接触が行われているのかもしれない。

北朝鮮に対しては、この拉致問題の解決が金正恩委員長の国際社会における信頼度を高め、その後の米朝協議を進展させて制裁緩和へつながる何よりの好材料となることを理解させることが肝要である。

対北交渉に立ちふさがる二つの障壁

一方、今後わが国が北朝鮮と交渉を始めるにあたり、次に掲げる二つの大きな障壁があることをよく認識し、この対応策をしっかりと決めておかなければならない。逆な言い方をすれば、この基盤が固まっていなければとても北朝鮮との交渉は実らないであろう。

まず一つは、対外的な問題である。わが国が北朝鮮との交渉で優先するのは何より「拉致問題の解決」であり、これを米朝が継続中の非核化交渉とは切り離して行う必要がある。

というのも、非核化問題と切り離すことこそが北朝鮮を日朝交渉の場に引き込む必要条件となるであろうからだ。その後、交渉の進捗に伴い、必ず「拉致被害者の帰国」に対する見返りの要求が出てくるであろう。即ち、北朝鮮との間で未解決の「戦後補償」などであり、その先にある「国交正常化」である。

国交正常化はどうしても非核化問題を絡めなければならない要素があると考えられることから、まずは「戦後補償」という話になるであろう。となると、事実上大規模な経済的支援を実施することになる訳で、これが国連安保理で示された「制裁の厳格な履行」とは相いれない結果をもたらすことを「米国をはじめ関係国に対しどのように説明するのか」ということが問題になる。特に、わが国は北朝鮮への厳格な制裁の履行をどの国よりも強硬に求めていた経緯があるから、この矛盾についても各国を納得させられるような説明が必要であろう。

二つ目は、国内的な問題である。今年は統一地方選挙や参議院選挙など大きな選挙が予定されている。このような中、北朝鮮問題は特に国民の関心も高く、政府(与党)にとってはこの問題への取り組み方について、どうしても国内政治に及ぼす影響を考慮しなくてはならない。しかも、この時期に北朝鮮との本格的な交渉に入るというのは。ある意味でハイリスク・ハイリターンな賭けとなる。

交渉がうまく進展し、拉致被害者の帰国が実現するというような結果となれば、政府の支持率は著しく上昇するであろうし、逆にこの交渉でわが国が求めるような成果が得られないようであれば、政府(与党)の信頼は失墜するであろう。そしてこれは、相手方(北朝鮮)に足元を見られることにもつながる。

交渉の成否は国民の後押しがカギ

また、それ以前に、非核化の実現も目途がつかない中において、戦後補償や国交正常化などあり得ないという意見も根強いであろうし、これが政争の具となって国内の意見が二分し、思い切った交渉ができなくなる可能性もある。このような事態を防止するためには、当該交渉に対する国民の理解と協力が何より必要となろう。

2月17日、「北朝鮮による拉致被害者家族連合会(家族会)」と支援団体「救う会」は1997年の家族会結成以降初めて、北朝鮮の最高指導者に向けてメッセージを出した。この内容は、金正恩委員長に被害者家族の痛切な胸の内を伝えるとともに、「帰ってきた拉致被害者から秘密を聞き出して国交正常化に反対するような意志はありません。家族で静かな生活を送ることを切望するだけです」と、被害者全員の即時帰国を決断するよう訴えるものであった。

安倍首相に金正恩委員長宛てメッセージを手渡す家族会(官邸サイトより:編集部)

これを読んで筆者は胸にこみあげるものがあった。被害者家族の方々は、「今すぐ家族を返してくれるのなら、過去のことはすべて水に流します。わが国と普通のお付き合いをしましょう」と、北朝鮮の現最高指導者に呼び掛けていらっしゃるのである。被害に遭われた家族の方自身がこのような寛容の精神をもって、政府の後押しをなさろうとしているのである。今こそ我々国民はこぞってこの思いに沿うべきではないだろうか。

政治に携わる方々も、この問題を決して政争の具としないで頂きたい。各メディアもこのことを十分に配慮すべきであろう。何よりも「この好機を逃さず拉致被害者を帰国させる」という大多数の国民の思いが一つになれば、安倍総理を始めとする政府や関係者が一体となって国際社会への対応と北朝鮮との交渉を後押しする強大な力となり、立ちふさがる障壁を突破して「拉致被害者の帰国」という交渉の成果へと結びつけることであろう。

拉致被害者の帰国を衷心より切望する。

鈴木 衛士(すずき えいじ)
1960年京都府京都市生まれ。83年に大学を卒業後、陸上自衛隊に2等陸士として入隊する。2年後に離隊するも85年に幹部候補生として航空自衛隊に再入隊。3等空尉に任官後は約30年にわたり情報幹部として航空自衛隊の各部隊や防衛省航空幕僚監部、防衛省情報本部などで勤務。防衛のみならず大規模災害や国際平和協力活動等に関わる情報の収集や分析にあたる。北朝鮮の弾道ミサイル発射事案や東日本大震災、自衛隊のイラク派遣など数々の重大事案において第一線で活躍。2015年に空将補で退官。著書に『北朝鮮は「悪」じゃない』(幻冬舎ルネッサンス)。