三浦瑠麗さんが、『21世紀の戦争と平和』で徴兵制のすすめを書かれたので、これまでタブーになってきたこの問題が脚光を浴びている。
ここでは、三浦さんの議論への論評ということでは必ずしもないのいだが、現行憲法と徴兵制についてこれまで書いてきたことを再編成しつつ語っておきたい。
日本では徴兵制というものが軍国主義の象徴のように思う人がいて、憲法違反だと割り切っている。しかし、もともと徴兵制はフランス革命とともに定着した制度で、民主主義に欠くべからずものだとヨーロッパ大陸では考えられている。
だから、日本で東京大学法学部で学んで霞ヶ関でかなりの期間働き、一方、フランスに留学してフランスの官僚としての訓練も受けた私の思想はアンビバレントな股さき状態にある。ここでは、その状態をなんとか両立させて、私が現在とっている法律家としての立場について論じたい。
なぜ徴兵制は憲法違反なのかについての法律論
日本国憲法に徴兵制を禁止する条項はない。というより、軍隊の存在を予定していなかったので、不在なのである。
徴兵制度が違憲であるというのは、自衛隊創設の経緯とその後の政治的展開のなかで確立した憲法解釈であるので、自衛隊や日米安保が合憲だとかいうのと同じで、ある流れのなかで非論理的ながら違憲という常識が成立したのである。
徴兵制が憲法違反だというのは、1980年に鈴木善幸内閣で「徴兵制は違憲との統一見解」が閣議決定されており、内閣法制局も「徴兵・兵役は日本国憲法(第18条)で禁じる“意に反する苦役”であり違憲」としている(このほか、憲法第22条の職業選択の自由に根拠を求める考え方もある)。
ただ、この解釈には文言上は明かな無理がある。たとえば、ほかの労務強制制度との関係はどうなるのか。第18条を徴兵制違憲の論拠にするなら、国民がほかの労務に強制的に従事させられることもないと言う方が座りがよいわけだ。
ところが、災害対策基本法(第65条「市町村長は、当該市町村の地域に係る災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合において、応急措置を実施するため緊急の必要があると認めるときは、当該市町村の区域内の住民又は当該応急措置を実施すべき現場にある者を当該応急措置の業務に従事させることができる」)など一部それに反する法律がある。
裁判員制度はどうか。全国民に課せられた義務で、これはよくて、軍事はだめといえるか、かならずしも、整合性がない(医療関係が典型だが、ある職業の人に義務を課していることもある。ただし、こちらは、その職業を選ばなければいいので、憲法違反の可能性が少ないと思う)。
となると、結局のところは、戦後に憲法秩序が創り上げられるときに、自衛隊は合憲だが、徴兵制は憲法違反で防衛は志願制度によって成り立つ自衛隊を中核に行うと云うコンセンサスが形成されたので、自衛隊や安保条約は合憲で、徴兵制度は憲法違反だという憲法解釈が憲法秩序の一環として成立したというのが私の整理だ。
徴兵制が合憲になるとすればどういう場合か
それでは、この解釈を変更する可能性はないのか(それがどうしても緊急に必要になったらというのは、あとまわしにする)。
私は、反対だ。安保法制のときに、安保改定とかPKOとかのように、第9条の解釈変更は、国際情勢の変化に伴って緩やかにこれまでも行われてきた。だから、三段跳びするようなことでなければ、従来のラインの上だから問題ないとした。
逆に言うと、徴兵制は、これまで明確に違憲だと明言してきたのだから、集団的自衛権とは一緒にできない。
それでは、「それ以外に選択がないわけでない限りは」ということになったらどうなのかということになる。つまり、志願制によって自衛隊が維持できなくなったらどうするのかは上記の違憲だという条件にあてはまらない別の問題になる。
たとえば、某国軍に沖縄を席巻され、九州を占領され中国地方の一部まで占領されたとか、東経135度線(明石を通る子午線)を境に傀儡政権が立てられて内戦になって自衛隊も損害が大きく人員不足だとかなったらどうなるのか。
とりあえずは、自衛官OBなどを集めるのだろうが、それでも足りるはずもない。そういう緊急事態の時は他に手段がないのだから徴兵していいのか、あるいは、国民投票などできるのかも分からないが憲法を改正するのか、それとも、自衛隊の隊員がたりなくなったところで、降伏して憲法違反をやるよりは国がなくなってもしかたないと割り切るのか、明快な説明をした人はあまりおらず、スルーされてしまっている。
そんななかで、意外に明快に、徴兵制を実施しても憲法違反でないということらしいのが、なんと、あの鳩山由紀夫さんなのだ。
民主党幹事長だった時代に演説会で参加者の質問に答える形で、徴兵制について「万一(兵力が)足りないときには、緊急事態法制の中で考えるべきことではないか」と述べた。鳩山氏は祖父である一郎氏が公職追放になった恨みもあるのか、一貫してアメリカとの密接な軍事協力に後ろ向きだ。このごろはハト派のような顔をしてるが、もともとは自主防衛論者だ。そうなると、徴兵制も場合によってはありうべしというのは、ある意味で首尾一貫した主張と言えるかも知れない。
義務兵役以外の兵站手伝いや軍事教練は憲法上の問題なし
それから、徴兵制の周辺問題として、これは憲法で禁止されているといわれている義務兵役ではないから国民に強制できるというものはあると思う。
銃は持たなくて良いが、自衛隊やアメリカ軍を手伝う義務を国民に強制してよいのかも議論されていないが、大事なところだ。災害時には命令できて、外国が攻めてきたときは命令できないとは考えにくいから、これはたとえば自衛隊法などを改正したら国民に強制できることで、憲法改正の必要はないと考えている。
また、国民に防災、人命救助とともに防衛のための基礎知識を与えるためのごく短い講習を受けることを義務づけるようなことは、憲法違反というものではないと思う。フランスでは、16歳から18歳の男女に対して1日のビデオ講習による防衛準備召集が義務化されているが、マクロン大統領は、さらに、短期間の軍事教練と国民意識向上講習を義務づける方針で、これをもって義務兵役の復活といってるが、フランス国内でもそんなのは義務兵役とはいえないという批判もある。逆に言えば、そういう講習を受けることが憲法違反だとは思わない。
これは、有事に自衛隊に志願する人を増やすための準備方策に過ぎないからだ。
いずれにしても、私は現行憲法かであろうが、憲法改正をしようが、徴兵制には反対である。
しかし、そのうえで、確認しておきたいことがある。
徴兵制の歴史と世界的な動向
まず、第一に、徴兵制度が憲法違反であるというのは、現在の憲法秩序が、志願兵制度を基本として行こうという方針だというだけで、潜在的には、国民は国家のために銃をとる義務はあることだ。それは、かりに、無税国家を憲法で標榜する国があって、もし、それで国がなりたたなくなったら、意味がなくなるのと同じで、近代国家にあっては、銃を国家のためにとるのはいわば自然法的な義務だと思う。
ここで、最初にヨーロッパでは、民主主義と徴兵制度は不可分と考えられていると書いたことをもう少し詳しく説明しておきたい。
そもそも、徴兵制度は世界史的にいえば、古代中国でもっとも充実した形で構築され、日本でも律令制のもとで採用されていた。ローマなどでは市民の義務と考えられていたが、だんだん形骸化した。中世から近世にかけてのヨーロッパでは、国民皆兵のような制度はとられなかったが、必要に応じて強制的に軍に参加させられることは良くあった。
そして、フランス革命によって打ち立てられた近代民主国家にとって参政権、人権の保護、納税の義務、教育の権利と義務と並んで兵役は欠くべからざる基本要素のひとつとなった。一部の人たちだけが税金を払ったり、国を守る義務を負うのでは国民は平等とは言えない。また、武器を持つ権利が生まれながらの身分によって独占されるのもよろしくない。
そうであるとすれば、徴兵制度はもっとも民主的であり、場合によっては民主主義にとって不可欠な制度と云われるわけだ。また、徴兵制のもとで一緒に戦友として戦ったことで社会の民主化は大きく進展した。
イギリスは伝統的には志願兵制度だったが、両世界大戦では徴兵制度になった。しかし、1960年に廃止された。アメリカでは必要に応じて徴兵され、ベトナム戦争でも実施された。
フランスでは、1990年代に廃止、ドイツも2010年に踏み切った。ヨーロッパではスイスやオーストリアのような永世中立国ではいまも存在する。ロシアではいまも実施しているし、南北朝鮮でとくに厳しいのは、韓流スターたちも入営しているのでよく知られているとおりだ。そして、中国で地域ごろに割り当てがあって、たりなければ徴兵するようだ。
いずれにせよ、どこの国でも、必要があれば復活するのが基本だ。
日本では長州で高杉晋作が奇兵隊を組織した土壌があり、その基礎に立って、大村益次郎や山県有朋が、西郷隆盛らを押さえて努力し、1873年に徴兵制を導入し、その軍隊は、西南戦争で薩摩の武士たちを圧倒した。そして、徴兵制度を敷いていることが、国会開設や普通選挙の導入の基礎ともなった。
戦後は、自衛隊の前身である警察予備隊を創立したときから、徴兵制はとらないとしてきた。同じ敗戦国であるドイツもはじめは徴兵制は取らないと云っていたのだが、結局は、東西冷戦の前線にあったことから、徴兵制を導入した。あわせて強調しておきたいが、ヨーロッパでもアメリカでもリベラルや左派は徴兵制支持で保守派が消極的である。つまり、貧乏人が兵隊になることを避けるためには論理的にそうなる。日本の左派が反対するのは、非論理的だ。
徴兵制が嫌なら自衛隊への応募が増えるように最大限の努力を
すでに、書いたように、民主主義の原則論から云えば、徴兵制が正しい選択だ。しかし、徴兵制でたいへんな人数の兵士を動員できることが、消耗戦を可能にしたこともたしかで、そのことで、近代の戦争は悲惨なものになった。そういう意味では、日本が徴兵制を廃止して、志願兵制度でやっていることは、それですむことなら素晴らしい事である。
しかし、現実には、徴兵制にもっとも強く反対している勢力が、志願兵制の維持を困難にするようなことをことごとく徹底してやっているのが問題なのである。だいたい、徴兵制の反対は、志願兵制である。つまり、徴兵制をとらないということは、志願兵制で用が足りるということを意味する。
あとで書くように、最近の先進国では徴兵制が減って、志願兵制が増えている。その理由は、装備の近代化によって、兵士の仕事が専門技術者的になってきたので、短期間だけで適性も関係ない徴兵制による兵士では役に立たなくなっているからだ。
しかし、それでも、軍隊にはある程度の数の兵士が要る。そこで、どのようにして、志願兵だけで必要が充足するようにしているかといえば、次の3点がポイントだ。
①装備の近代化と武器産業の育成
②経済的条件の向上
③積極的なリクルートと軍役への社会的名誉の確保
ところが、いわゆるハト派の人は、その三点が充足することを全力を挙げて邪魔している。つまり、以下の通りだ。
①装備にお金をかけたり、武器輸出などして軍需産業を育成するのに反対しているので、人海戦術しかなくなる。
②自衛隊の待遇を良くすると経済的徴兵といって反対するのでできない。奨学金をあたえるかわりに一定期間、自衛隊で働くような制度もよくないそうだ。
③自衛隊に志願する人を増やそうとする広報勧誘の邪魔をしている。学校や社会のいろんなところで、国を守ることに参加することがたいへん立派なことだという意識を高めないと志願する人がいなくなる。自衛隊の格好良いパレードも役に立つが反対する。
こういう馬鹿なことをしていると、最後は徴兵しか方法がなくなるのである。先進国が徴兵制をやめつつあるのは条件整備があってのことだ。その反対を全部推進してるのですから、彼らこそ徴兵制を推進しているとしかいいようがない。
私は徴兵制は絶対に嫌だから徴兵制をやめたほかの先進諸国と同じような手立てをすることを主張する。繰り返し、書くが、徴兵制を避けるとは、志願兵制を良く機能させるということなのだ。志願兵制が成り立たなくなったときには、徴兵制を取るか国が滅びるしかないのである。憲法を改正するか、憲法解釈を変更するか(差し迫った必要が生じたときは憲法違反でないという解釈は可能)、憲法を停止するかのどれかしかないのである。
あとは、本稿では書かなかったが、もうひとつ外国人を傭兵するというのが、志願兵制の変形としてある。人数と役割を限定してならありえないわけでない。日米安保条約もある意味で傭兵なのかもしれないが、それは別の問題だ。
総括
総括すると私の意見は、以下の通りだ。
①国家のために戦うことは、近代国家において自然法的な義務である。
②現在の憲法はそれを否定はしていないが、できるだけ志願兵制でやるようにという意思を示している。
③徴兵制度は現行憲法では禁止されているという解釈は、それが、どうしても不可避になったときしか変更できない。
④志願兵制を維持するためには、装備近代化、経済的厚遇、社会的尊敬の三つが不可欠だが、それをハト派が邪魔していることは徴兵制の必要性を高めているだけだ。
⑤兵站など自衛隊の活動への協力は災害時の協力義務と同じなので法律改正で義務化すべきだ。
⑥フランスで導入が予定されているようなごく短期の国民意識向上、国防や防災の基礎知識や技術取得を目的とする研修は高校などで実施するなど義務化を検討する価値がある。