歴史発展の原動力としての「受難」

復活祭(イースター)の21日午前(現地時間)、バチカンのサンピエトロ広場で挙行されたローマ法王フランシスコの「復活の主日」のミサをテレビでフォローした。世界のキリスト者にとって1年で一番大切な祝日だ。広場は世界から集まった信者たち、巡礼者たちで一杯だった。フランシスコ法王は記念ミサ後、聖ペトロ大聖堂の中央バルコニーから世界の紛争地に言及し、その平和的解決を願うメッセージ(「ウルビ・エト・オルビ」)を発信した。

▲聖ペテロ大聖堂の中央バルコニーから「ウルビ・エト・オルビ」を発信するフランシスコ法王(バチカン・ニュースのHPから 2019年4月21日)

いつものことだが、復活祭を迎えるたびに考えさせられる。イエスが十字架で亡くなり、3日目に蘇ったということを信じる者たちは、死を乗り越えた救い主イエスの言動に感動し、そこから生きる力を得る。キリスト教では「死」は人類始祖の罪から発生したという。だから生きている全ての存在にとって「死」は避けられないが、イエスはその「死」を乗り越えて復活した。その事実を世界に伝えるために出かけたのがキリスト教の歴史だった。イエスは復活後、40日間、弟子たちと共に歩んだ後、天に昇天した。

「死」が人類始祖の罪(原罪)によってもたらされたものだとすれば、それは明らかに刑罰だろう。悪事を犯した者はこの社会でも刑罰を受ける。その悪事の軽重によって刑罰の内容は決まるが、「死」は最も重い刑罰だ。換言すれば、人類始祖の罪によって、その後の人類は例外なく死刑囚のような立場で生まれてくる。「割に合わない人生だ」と不平言っても仕方がない。

新約聖書によれば、イエスは神の子として罪なき存在だ。それ故に、というべきか、イエスは「死」を乗り越えることができたのだろうか。それともイエスは神の子の特権で「死」に対して免疫があったのだろうか。

「死」はこれまで一緒に生きてきた同伴者との別離を意味する一方、「新しい世界」への出発となる。それでは「死」後に入国する「新しい世界」はどこにあるのだろうか。ブラックホールのトンネル(三途の川)を抜けるとそこは「新しい世界」だった、というのだろうか。

イエスは「あなたが生きているとは名ばかりで、実は死んでいる」(「ヨハネの黙示録」第3章1節)、「私を信じる者は死んでも生きる」(「ヨハネによる福音書」第11章)と語っている。しかし、永遠の命を約束したイエスも、それを信じた人々も、その肉体は死んでいった。

イエスの語る「死」には二通りの意味が込められていることが分かる。肉体的に朽ちる「死」と、神の愛から離れた「死」だ。前者はイエスを含む全ての人間に当てはまるが、後者は神の懐から離れていった人間の死だ。宗教用語では「霊的な死」を意味する。デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールが対峙していた「死に至る病」だ。

ところで、なぜ人は永遠の命を願うのだろうか。始まりがあれば、終わりが必ずある。にもかかわらず、始まったが終わりたくないと叫んでいるのが私たちの偽りのない姿ではないか。それは、死刑囚の運命で生まれてきた人間が終身刑に減刑してほしいと裁判官に訴えているような状況だ。

興味深い点だが、キリスト教には「復活祭」(移動祝日)を祝う一方、「死者の日」(11月2日)もちゃんと祭日となっていることだ。誰が復活し、誰が死者としてとどまり続けるのか。そもそも誰がそれを決めるのだろうか。

イエスは罪なき方として生まれてきた。そのイエスが33歳の若さで十字架上で殺害された。イエスの「死」は罪の結果ではなく、明らかに「受難」による「死」だ。キリスト教では、原罪ゆえに制裁下にある人類がイエスの十字架上の犠牲によって復活(原罪からの解放)できる道が開かれた、と教えている。

明確な点は、イエスの歩みがその後の人類に大きな恩恵を与えてきた、という事実だ。人類の歴史は史的唯物論が主張するように戦争や闘争で発展してきたのではなく、「受難」を原動力として前進してきたことが分かる。これは困窮下や病苦の中で生きている人々にとって、大きな慰めとなるメッセージだ。繰り返すが、イエスが「受難」を受けて犠牲となった衝撃は、様々な波紋をその後の歴史に投じてきた。2000年前の「イエスの復活」は“神のビックバン”を告げる最初の出来事だったわけだ。

ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年4月22日の記事に一部加筆。