このGWに台湾旅行をなさる方もきっと少なくないだろう。大概は台北に入ってそこを拠点に総統府、故宮博物院、そして九份から太魯閣方面を主体に回り、南部は高鉄(新幹線)で台南か高雄を半日見て回るというコースが多いようだ。
そこで、午前中に高鉄で高雄に入り夕方の高鉄で台北に戻るという高雄半日歴史旅のコースを考えてみた。高鉄左営駅でタクシーを拾い、夕方まで借り切って見どころを回り、夕方にそのまま高鉄左営駅に戻る計画だ。タクシー代は初乗り80元(約300円)だから5時間で1万円前後ではなかろうか。
ちょうどお昼時に当たるので、現地の人に人気のある軽食を2回とるAコースと、高級海鮮レストランでちゃんとした昼食をとるBコースの二通りを考えた。この投稿を印刷しておいて運転手に見せればほぼ間違いなく着けるはず。
ちなみに休憩やトイレはホテルのロビーがおすすめだ。五福路の愛河を隔てて東側に国賓大飯店、西側に華王大飯店があり、五福路/成功路には45階建ての漢来大飯店がある。筆者は行ったことがないが澄清湖の圓山大飯店も良いかも知れない。
出発前に筆者の投稿二編
をおさらいして下さるとさらに興味深い旅になると思う。
Aコース(現地ご飯コース:ワンタンと牛肉麺+おかず)
高鉄左営駅➡①蓮池潭➡②老左営汾陽餛飩(ワンタン)➡③舊城・桃子園近辺➡④覆鼎金公墓➡⑤澄清湖公園➡⑥85階ビル➡⑦高雄市立博物館➡⑧高雄忠烈祠(旧高雄神社)➡⑨哈瑪星(一二三亭・渡船頭海之氷)➡⑩原郷牛肉拉面(牛肉麺+おかず)➡高鉄左営駅
Bコース(海鮮料理店コース)
高鉄左営駅➡覆鼎金公墓➡澄清湖公園➡85階ビル➡蟳之屋(海鮮昼食)➡高雄市立博物館➡旧高雄神社➡哈瑪星➡舊城・桃子園近辺➡蓮池潭➡高鉄左営駅
・蓮池潭(813 台湾 高雄市 左営区)➡お決まりの観光地。歴史と関係ないが通り道なので。
・老左営汾陽餛飩《創始老店》(左営区左営大路84號)➡シンプルかつ美味なワンタン、現地の超人気店。
・鳳山県舊城南門・桃子園(とうしえん)➡大坪與一の伝記によれば、與一の墓は桃子園墓地に昭和7年に建てられた。墓石には昭和15年(1940年)に左営海軍拡張に伴い覆鼎金に改葬とある。日本人慰霊塔の杉本音吉の墓も音吉の伝記によれば昭和3年(1928年)に舊城に建てられたとあるので、おそらく両方は近くにあって同時期に改葬されたと想像される。ワンタンを食べた後、南門の辺りを車で一回りすれば往時が偲べる。
・澄清湖(833 台湾 高雄市 鳥松区)➡覆鼎金公墓と高雄GCを挟んで南にある広大な公園。かつては蒋介石と宋美齢の別荘地。近辺は高級住宅街で台北の圓山大飯店(宋美齢の別荘だった)の支店がある。この2人は日月潭を始めとする台湾の主な景勝地に須らく別荘を置いた。
・高雄85ビル(Lingya District Kaohsiung City, 台湾 802) ➡高雄で一番高い。75階に展望階があり、大高雄市や阿里山・玉山(新高山)などを360度パノラマで見ることが出来る。俯瞰して東西南北の位置関係を頭に入れるには格好だ。
・高雄市立歴史博物館(803高雄市鹽埕區中正四路272號)➡日本統治期からつい最近まで市庁舎だった歴史的建築物。二二八事件と共になぜか済州島四三事件が展示されている。
・高雄忠烈祠(高雄神社遺跡)(804高雄市鼓山區忠義路32號)➡下記は創建時の記念写真。最前列の左から三人目(白帽子)が大坪與一。
・哈瑪星(ハマセイ。浜線の当て字)➡台湾領有後に南部で日本人が最初に入植した地域。忠烈祠の右下に位置する。昭和10年の地図を見ると高雄駅の正面が日東商船組で裏が大坪與一邸跡。写真では手前の駐車場が與一邸(遠方に85階ビル)。道を隔てて台湾銀行と台湾運輸(杉本音吉の会社)があり、旧高雄警察とその前の郵便局はほぼ昔のまま(半分は西子湾駅)。鼓山小学校も日本統治期の小学校の場所にあり、一二三亭も喫茶店で復活している。
・渡船頭海之氷(804高雄市鼓山區濱海一路76號)➡哈瑪星にある高雄名物のかき氷屋。写真はフルーツかき氷だが、マンゴーと牛乳をミキサーした氷をかいたマンゴーかき氷も人気。
・原郷牛肉拉面(新興区林森一路271-1號)➡現地の超人気店。スープありと無しがあり、通はスープ無しを好む。おかずが何種もあるので指差しで頼む。これが楽しい。
・蟳之屋(800高雄市新興區民生一路93號)➡紅毛港・海天下・海王子と並ぶ高級海鮮(確かこれらの経営者はみな兄弟)。おすすめは茹タケノコ(マヨネーズは甘い)、貝炒め(アサリに似た貝)、茹エビ、蟹おこわ(絶品)など、どれも美味しい。
・瑞暘行(高雄市新興區復橫一路322號)➡お土産にもしカラスミを買うなら。一口パックになっていてそのまま食べられる。一袋(一腹分)800元(約3千円)。
高橋 克己 在野の近現代史研究家
メーカー在職中は海外展開やM&Aなどを担当。台湾勤務中に日本統治時代の遺骨を納めた慰霊塔や日本人学校の移転問題に関わったのを機にライフワークとして東アジア近現代史を研究している。