象徴天皇制は最高の知恵だが、時代の進展に伴い自ずから変容を免れないはず

早川 忠孝

天皇主権から国民主権に転換する時に、それまで主権者であった「天皇」をどう位置付ければいいのか、ということは難しい問題だったろうと思う。

天皇皇后両陛下(宮内庁サイトより:編集部)

天皇という存在を否定してしまえば簡単だが、それでは日本という国家の一体性や継続性、安定性の基盤が失われ、大混乱に陥りかねない、何とかして天皇という存在を活かしながら新しい国づくりを始められないだろうか、ということで捻り出したのが象徴天皇制という新しい仕組みだったのではないだろうか、というのが私の認識である。

私は、象徴天皇という概念を導き出した方々の叡智を高く評価し、その方々に心からの感謝の念を捧げたい。

新憲法制定の議論が公式に始まったのは昭和20年8月15日の終戦後の話であるが、既に当時の政府の法制担当者の間では、敗戦後の日本の新しい憲法の在り方について議論をしていた、という記事を読んだ記憶がある。
現在の日本国憲法にその当時の議論が反映されているのかいないのか知らないが、日本にもそれなりに知恵がある人がいたことは間違いない。

天皇を日本国の象徴、国民統合の象徴とする、という発想が、いつ、どこで、どこから出てきたのか定かではないが、象徴天皇制を取ることにしたということで、日本国も日本の国民も救われた、という一面があるはずである。

これで、GHQも、連合国も、さらには日本の国会も国民も納得したというのだから、象徴天皇制の採用ということに日本の再生のための最高の知恵が発揮された、と言ってもいいのではないだろうか。

もっとも、象徴天皇制の中身が初めからすべてがっちり固まっていた、というわけではないだろう、と思っている。

日本の憲政史上初めて導入(もっとも、日本の天皇は元々象徴であった、という議論もあり得るので、その方々にとっては初めて明文化された、ということになろうか)された仕組みで、関係者の皆さんが手探りで作らざるを得なかった面もかなりあるのではないか。

そういう意味では、昭和天皇時代の天皇の在り方と平成天皇(上皇陛下)時代の天皇の在り方は同じではないだろうし、令和の新しい時代の天皇の在り方もこれまでとは自ずから違ったものになってくるはずだ。

それでいいんじゃないかな、と思っている。

大事なことは、象徴天皇制を維持することで、細かいことにはあまり気を遣い過ぎない方がいい。
皇統の断絶を今から危惧する声が上がっているが、あまり大騒ぎしない方がいい。

象徴天皇制を堅持することは重要だが、その具体的中身は、国民が受容する限り、時代によって多少変容しても差し支えないだろう、というのが私の基本的認識である。
勿論、異論を述べる方も多いだろうが・・。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2019年5月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。