4月30日にNHKが放映した「平成史スクープドキュメント 第8回 情報革命 ふたりの軌跡~インターネットは何を変えたか~」は、若くして世を去った日本の情報革命の先駆者を紹介した。ヤフー元社長の井上雅博氏とウィニーを開発した元東大大学院特任助手の金子勇氏で、井上氏はヤフーの社長を16年務め、勇退した後の事故死なので、ヤフーを軌道に乗せた点でも志を遂げたといえるが、金子氏の場合は志半ばの観が否めない。
2012年4月、幕張メッセで金子氏の講演を聴いた私は、質問の冒頭で、「金子さんは日本人に生まれて不幸だったかもしれない。なぜなら欧米版ウィニーを開発した北欧の技術者は、金子さんのように後ろ向きの裁判に7年半も空費させられることなく、その後、無料インターネット電話のスカイプを開発して、億万長者になったからである」と述べた。
その時は、まだ若いので、これから十分取り戻せると思っていたが、1年後に42歳の若さで急逝した。金子氏が短い生涯の7年半も空費させたられた裁判から振り返る。
ウィニー裁判
2002年、金子氏はP2P技術を利用したファイル共有ソフト「ウィニー」を開発し、2チャンネルで公開した。P2PはPeer to Peer の略で、「仲間から仲間へ」という意味のとおり、コンピューター同士を直接接続して、お互いの持つ情報をやりとりする通信方式である。
翌03年、ユーザー2人がウィニーを利用して、他人の著作物をネット上にアップにしたため、著作権法違反の容疑で逮捕された。04年には、ウィニーの公開、提供行為が2人の正犯による犯行の幇助に該当するとの容疑で、金子氏自身も逮捕、起訴された。
包丁が犯罪に使われるからといって、罪に問われるのは作った者ではなく、使った者である。ところが、検察は「ソフト開発と配布によって、著作物を違法に流通した2人の正犯の犯罪行為を幇助した」として、金子氏の有罪を主張。第一審の京都地裁は幇助罪の成立を認める判決を下した(06年)。しかし、大阪高裁は逆転無罪とし(09年)、最高裁もこれを支持した(11年)。最高裁判決は法執行機関の性急な捜査、起訴を次のように戒めた。
本件において,権利者等からの被告人への警告,社会一般のファイル共有ソフト提供者に対する表立った警鐘もない段階で,法執行機関が捜査に着手し,告訴を得て強制捜査に臨み,著作権侵害をまん延させる目的での提供という前提での起訴に当たったことは,・・・性急に過ぎたとの感を否めない。
一罰百戒を狙ったのかもしれないが、性急な捜査、起訴がイノベーションに与えた悪影響はあまりにも大きかった。捜査当局が金子氏を逮捕した後,ウィニーの改良を禁じ,欠陥を修正できなくしたことによって、自衛隊や裁判所,刑務所,病院といった公的機関の情報が大量に流出し,回収不能となった。06年には安倍官房長官(当時)が国民にウィニーの利用自粛を要請するに及んで、ウィニーはすっかり悪役になってしまった。
世界にも例のない開発者の著作権法違反幇助罪での逮捕、起訴は金子さん個人にとってだけでなく、国にとっても大きな損失だった。「日本のインターネットの父」とよばれる村井純慶応大教授は、ウィニーを「ソフトとしては10年に一度の傑作」と評価した(日経産業新聞 04年5月25日)。
金子氏の訃報を報じた2013年7月12日付、msn産経ニュースは、村井教授の「ひょっとしたらウィニーがビジネスの基盤に育っていた未来があったかもしれない。ただただ残念だ」との談話を紹介した。村井氏の予言どおり、ウィニーの技術は最近脚光を浴びているブロックチェーンにも使われている。
億万長者になった欧米版ウィニーやP2P技術の開発者
ウィニーと同じ技術を開発して億万長者になった技術者は、スウェーデン人のニクラス・センストロム氏とデンマーク人のヤヌス・フリス氏である。2人は01年に欧米版ウィニーの「カザー」を開発。その後、インターネット通話のスカイプを開発し、03年にスカイプ社(本社・ルクセンブルク)を設立した。利用者同士が無料で国際通話ができることから,同社は急成長を遂げた。05年に2人はネットオークション大手のイーベイに26億ドル(2886億円)でスカイプ社を売却し、億万長者となった。
億万長者になったのは北欧の技術者だけではない。ウィニーが採用するP2P技術自体を開発したアメリカの技術者も億万長者になっている。1998年、ボストンの大学1年生だったショーン・ファニング氏は、P2P技術を使ってナップスターを開発。翌1999年、大学を中退して1歳年上のショーン・パーカー氏とともにナップスター社を設立。ファニング氏は00年10月にはタイム誌の表紙に掲載されるなど時の人になった。
カザー、ナップスターとも著作権侵害訴訟に敗れ、サイト閉鎖に追い込まれた。ナップスターがビジネス化に失敗する中、音楽配信サービスの将来性を見抜いたのがアップルのスティーブ・ジョッブス氏で、03年に音楽配信サービス iTunesストアを立ち上げた。事業化に成功したのはジョッブス氏だが、CDという媒体に依存していた音楽の流通システムを根本的に変えるきっかけをつくった2人のナップスター創業者の物語は、13年に「ダウンローデッド」という映画になった。
パーカー氏はフェイスブックの創業にも貢献し、初代社長も務めた。このため、10年にフェイスブックの興隆を映画化した「ソーシャル・ネットワーク」にも登場。フェイスブック以外のベンチャー企業にも投資。ファニング氏もウーバーなどのベンチャー企業に投資、2人とも億万長者になっている。
ナップスターを開発した米国の技術者や欧米版ウィニーを開発した北欧の技術者のその後の成功物語を見るにつけ、金子氏も村井氏の指摘するような夢を実現できた可能性は十分ある。そうした可能性を摘み取ってしまった法執行機関の勇み足は、金子氏個人にとってだけでなく、国家的にも大きな損失だったといえる。
刑事訴追には慎重な米国
欧米の技術者は開発したソフトで金儲けしようとしたのに対して、金子氏はソフトを開発しただけだった。にもかかわらず刑事訴追され、一審では有罪とされた。しかもナプスターやカザーは民事訴訟で、ウィニーのような刑事訴訟ではない。米国の著作権法にも刑事罰はある。ナップスターは会社側の発表によれば、ピーク時には7千万のユーザー数を誇るほど猛威を振るった。それでも起訴には踏み切らなかった。
米国著作権法には利用目的が公正であれば、著作権者の許諾なしの利用を認めるフェアユース規定がある。このため、法執行機関はフェアユースの抗弁が成立する可能性のある案件に対しては、起訴に踏み切るのは慎重である。日本ではウィニー事件最高裁判決が性急な捜査、起訴を戒めたにもかかわらず、法執行機関の行き過ぎはその後も改善されていない(詳細は城所岩生『フェアユースは経済を救う~デジタル覇権戦争に負けない著作権法』参照)。
フェアユースはアメリカでは「ベンチャー企業の資本金」とよばれるようにグーグルをはじめとしたIT企業の躍進に貢献、イノベーション促進に効果的とされている。日本でも知的財産推進計画の提案を受け、文化庁で2度にわたり検討したが、最初の検討で実現した2012年の著作権法改正では骨抜きにされた。2度目の検討の末、実現した2018年法改正では少し前進したが、まだ米国型フェアユースには程遠い内容にとどまっている(詳細は城所岩生編・中山信弘ほか著『これでいいのか!2018年著作権法改正』参照)。
法執行機関の暴走がイノベーションを阻んだ金子氏の悲劇を繰り返さないためにも、フェアユースを導入すべきである。
城所 岩生 国際大学グローバルコミュニケーションセンター(GLOCOM)客員教授。米国弁護士。