「ネトウヨ(ネット右翼)」や「パヨク(ネット左翼)」と呼ばれる方々がいます。私は両者の存在を「対話不能な人」と定義しました。
哲学者・ハーバーマスの主張を参考とし「議論の参加者は完全に自由で平等」だとすると、議論のルールを守れるのであれば、悪口である「ネトウヨ」や「パヨク」といったレッテル貼りは許されないということになります。別の見方をすれば、ルールを守れない対話不能な人は、決して推奨しないもののレッテルを貼られても仕方がないということです。(この定義については、新著『ネトウヨとパヨク』(新潮新書)にて詳しく説明をしています)
さて、こうした対話不能な人々を相手にしても時間の無駄だと考え、早々に対話を止めてしまえばよいように思えます。とある先哲も、結論ありきで対話に臨む人間とは、さっさと対話を切り上げるべきだと述べています。相手の主張は絶対に変わらないため難攻不落ですが、そのあまりに乏しい説得力のため、他者に影響を与えることもなさそうですから、放っておいても大丈夫な気がします。
ただし、国の指導者のような、多くの人々に幾度となくメッセージを送れる立場の場合、状況は少し変わってきます。心理学者のギュスターヴ・ル・ボンは次のように主張しています。
群衆の精神に、思想や信念――例えば、近代の社会理論のような――を沁みこませる場合、指導者たちの用いる方法は、種々様々である。指導者たちは、主として、次の三つの手段にたよる。すなわち、断言と反復と感染である。これらの作用は、かなり緩慢ではあるが、その効果には、永続性がある。
およそ推理や論証をまぬかれた無条件的な断言こそ、群衆の精神にある思想を沁みこませる確実な手段となる。断言は、証拠や論証を伴わない、簡潔なものであればあるほど、ますます威力を持つ。あらゆる時代の宗教書にせよ法典にせよ、常に単純な断言の方法を用いたのである。
(ギュスターヴ・ル・ポン著『群集心理』講談社、1993年)
理屈抜きの主張を断言し、それを反復すると、徐々に人々の間に感染していくのだとする考えは、何となく実感を持って理解できる主張ではないでしょうか。私自身にも身に覚えがあります。理屈抜きの断言だからこそ、実は強い説得力を持つ場合も、どうやらありそうです。しかし、そんな断言の反復が有効となるのは、指導者のような特別な立場の人間が発するからでしょう。通常、こうした理屈なき断言は説得力を持ちません。
説得力のない言葉だから説得できる
ところが、ネット上だと事情が変わってきます。特に、約140文字のメッセージしか投稿できないTwitter上では、この逆転現象が顕著に生じるのです。140文字しかないわけですから、主張の前提や理屈を明確に記すことは大変に難しいものがあります。だから、論理的な説明を好む人は、Twitterと相性が悪いわけです。何度かの投稿に分けて主張することもできますが、そうした長々とした主張がTwitter上で支持を得にくいことは、Twitter利用者の誰しもが共感するところだと思います。
緻密な論理を備えた主張は長文になりがちです。そして、長文が他ユーザーによって「反復」されにくいのは、何もTwitterに限った話ではありませんから、緻密な主張はネット上で大きな影響力を持ちにくくなります。丁寧で論理的な主張を展開できる人々は、現実の社会では説得力を持った存在でしたが、Twitterのようなネット上のツールと相性が悪く、本来有していたはずの説得力を失ってしまいます。
一方、結論しかない主張や、極端に単純化された断言に近い主張を繰り返す人々にとっては、Twitterを利用するうえで何ら支障はありません。それどころか、「断言」のような短い主張(つぶやき)だからこそ、多くのユーザーによって「反復」され、それがリツイート(またはコピペ)されることで、数多のネット住民に「感染」していきます。
こうなると、奇妙な現象が起きていることが分かります。現実の社会では説得力に欠ける対話のできない人たちだったのに、いやそういう人だからこそ、ネット上になると強い説得力を持つ存在になりうるのです。しかも、彼らは論理がないわけですから論理破綻することもなく、反論に対しても鉄壁の防御力を持っています。攻守万全です。
レッテル貼りをする前に
考えの異なる相手に対し「ネトウヨ」「パヨク」とレッテルを貼り、相手を絶対悪とみなしてしまう姿がよく見られます。しかし、そんなことをしていては、「ネトウヨ」や「パヨク」と呼ばれる「対話不能だけど独特の説得力を持つ人たち」の暴走は止まらないはず。
感情的にレッテルを貼り対話を拒否するのではなく、彼らをきちんと分析すること。そして、どうすれば対話の糸口がつかめるかを考えることが急務ではないでしょうか。単なるレッテルの貼り合いに、心底うんざりしている方々は想像以上に多いと思います。
物江 潤 学習塾代表・著述家
1985年福島県喜多方市生まれ。早大理工学部、東北電力株式会社、松下政経塾を経て明志学習塾を開業。著書に「ネトウヨとパヨク(新潮新書)」、「だから、2020年大学入試改革は失敗する(共栄書房)」など。