桜田前五輪相の「子どもを最低3人くらい産むようにお願いしたい」という発言が波紋を広げている。
この発言を受け、立憲民主党の蓮舫副代表は「最低な発言だ」「国会議員の恥だ」などと強く非難している。国民民主党の原口国対委員長も記者会見で、「そもそも人権に対する意識が欠如している。こういう方が議員を務めていることに強い危機感を持つ。」と、こちらも厳しい非難の声を上げた。その他の野党も一斉に同様の反応を示している。
しかし、ネット上の反応は良い意味で冷静なものが多い。
桜田前五輪相の発言に対し野党議員からは「人権問題だ!」「議員の資質に欠けている!」という桜田議員の政治家としての資質を糾弾する意見が多いのに対し、ネット上では同様の意見が見られる一方で、「まずは子どもを産み育てやすい社会を政治がつくるのが先だ!」という子育て環境の改善を政治に訴える意見が非常に多い。
少子化対策に向けた「建設的」な意見は明らかに後者だろう。
各報道によると、ある野党の党首は記者会見で「子どもを持つかどうかや、何人持つかは、個人の自由な選択に委ねられるべき問題だ。政治の側が自由な選択に介入し、干渉するようなことは厳に慎むべきだ」という発言をしたようだ。
確かにもっともなのだが、個人の自由な選択に政治側が介入・干渉して出生率が変化するなら、日本の人口減はとっくに止まっているはずだ。つまり、結婚や出産などの個人の自由な選択に政治側が介入・干渉することなどそもそも出来はしない。良くも悪くも政治家が「口で何を言おうが」出生率は変わらない。当然これは桜田議員も含め他の政治家すべてが十分に理解する必要がある。
今回の発言で桜田議員は二つの「浅慮さ」をさらすことになってしまった。一つめは、個々人の自由で多様な生き方に対する思慮の浅さである。二つめは少子化の原因が子どもを持たない人側にあると思い込んでいることである。
少子化対策に取り組むうえで問題が大きいのはこの二つめだ。少子化の原因が子どもを持たない人側にあると思い込んでいるからこそ「お願い」という行動になる。
「お願い」して相手が変われば問題が解決に向かうと考えているから「お願い」してしまうのだ。
厚生労働省によれば、現在の日本の出生率(合計特殊出生率)は1.43(2017年)であり、2005年の1.26から見れば若干回復基調にはあるものの、ここ数年はほぼ変わっていない。人口を維持するためには、出生率を2.07まで上げていかなければならないが、少子化対策に「お願い」ではなく、長年「政策」で取り組んできたフランスやスウェーデンでさえ、ここ数年は出生率が1.8~1.9前後で推移している。それを考えれば、「2.07」という出生率を達成・維持するのがいかに困難なものかが分かる。
高齢化、長寿命化による、社会に対するさまざまな影響が取りざたされるなか、矢継ぎ早で実効性のある少子化対策が求められる現状において、少子化に憂える政治家が「お願い」してでも出生率を上げたい気持ちは分からなくはない。だが、「お願い」では出生率は上がらない。
個人の自由な選択や自由な生き方に政治側が干渉することは出来ないし、当然するべきではないが、結婚や子育てをしやすい社会・制度の構築や提供については政治が積極的に介入しなければ実現しない。
ぜひ「建設的」な議論のもと、実効性のある少子化対策を政治家の皆さんにあらためて「お願い」したいと思う。
高幡 和也 宅地建物取引士
1990年より不動産業に従事。本業の不動産業界に関する問題のほか、地域経済、少子高齢化に直面する地域社会の動向に関心を寄せる。