AI(人工知能)の話題には事欠かないですが、特に言われるのが将来、必要なくなる職業リストで、会計士や運転手といった職種の名前が必ず出てくるのですが、AIはそこまで我々の生活を変えるのでしょうか?
確かに便利な生活を提供してくれるはずですが、我々の生活を急に激変させることはない、と考えています。理由はAIを支えるビックデータは過去の行動パタンや数字を基本に作り上げたものであり、極度な効率化は促進されるものの今までの流れを変えるものではない、という点が議論の中で落ちているように感じます。
例えば運転手はこの2-30年の間に自動車性能や機能の充実化で運転がよりやりやすくなったことを享受してきました。そのうえ、居眠り防止やはみだし運転への警告、車線の自動修正といった機能が更に付け加わりつつあり、徐々に運転手の技能を機械が掌るようになるでしょう。しかし、その日は突然来るわけではなく、何年もかけてじわっと来るとみています。運転手の仕事をしている人が違う職種に移行できる時間は十分にあるとみています。
会計士はどうでしょうか?経理や会計は確かにソフトを使い、楽になってきました。しかし、最後は「意思」が入り、どう処理するか、必ず微妙な判断をするものであります。その高度な判断はある意味、政治的決着になることすらあり、AIではできません。むしろ、AIが基礎的な作業を行うことで高度な判断ができる会計士が育たなくなる可能性すらあり得るのではないでしょうか?
ところで先日、テレビで世の中を変えるのは一人の天才か、高度な専門性を持ったチームか、という番組がありました。一人の天才が世の中を変える、と主張したのが孫正義氏でチームプレイだろうと予想したのが茂木健一郎氏でした。
AIは便利にはするけれど新しい道を開拓できないので開拓者がいなければ次のステップには進めない、という点では両氏とも同じ考えであり、それを誰が開拓するのか、という議論でした。
私は孫正義氏の考え方に近いものがあります。革新的なものを生み出す人は孤高の天才が多いものです。スティーブ ジョブズやビル ゲイツ、イーロン マスク、マーク ザッカーバーグ…といった方にはもちろん、有能な取り巻きがいるチームプレイを通じて世の中を刺激するモノを提供してきたわけですが、最後はリーダーとなる人物の圧倒的信念と判断力、推進力が「地殻変動」を引き起こしています。そのジョブス氏やマスク氏が産みの苦しさを否が応でも味わってきたのは周知の事実です。
さて、もう一つ、AIは我々人間を無能にするのか、というテーマが残っています。AIが苦手とする判断を求めらえる人材は高い能力を持った管理職かもしれません。(ここでいう判断とは「奥さん、今日も美しいね、ちょっとおまけしておくよ」といった主観的な判断力という意味です。)とすれば一般大衆はどうなるのでしょうか?判断を求められないのですから思考能力は落ちてしまうのでしょうか?
私はこう考えます。世の中に自動車が普及した時、人間はこれから歩かなくなるから足腰が弱くなり、歩けなくなると考えたでしょうか?そんなことを考えた人もいるかもしれませんが、今、誰でも普通に歩いています。運動不足が指摘されるタクシー運転手だって歩いています。むしろ、運動不足になるから意図的にウォーキングしたりジョギングするようになっているかもしれません。
同様にAIが我々の生活を全面的にサポートしてくれるとしても我々の脳みそからしわがなくなることはないと思います。ただ、現在のしわの寄り方とは変わってくるかもしれません。が、それが人間生活を大きく堕落させることもないでしょう。江戸時代には皆、歩いていました。江戸と地方を何日もかけて歩く足腰の強さと現代人の足腰の強さを比較するようなものでしょう。
つまり、AI時代を迎えることに何ら恐れることはないと思っています。奇妙な消滅職業リストなるものが世の不安を掻き立てますが必ず、違う業種が生まれるものです。我々はもっと気楽に新しい世界を受け入れていけばよいと思っています。
では今日はこのぐらいで。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年6月13日の記事より転載させていただきました。