7月1日朝日新聞オピニオン面(7面)に、「記者解説 「2000万円不足」の現実」という論考が掲載された。解説するのは、朝日新聞編集委員浜田陽太郎氏だ。この解説記事を一読すると、「また反政府運動記事か?」という印象を抱くのだが、精読すると実はそうではないことが解る。
今回は事例研究として、この記事(紙面記事全文:概算2200~2500文字、デジタル記事全文:2357文字)を素材に朝日新聞の記事を深く味わいたい。
「はがるがきがたが」型暗号文
次の文章をご覧頂きたい。
はがるがきがたがはがるがきがたがどがこがにがきがたが
一見すると無意味な文字列だが、ある処理を施すと意味を成す文になる。
その処理とは一部の「が」を抜くことである(2つだけ残す)。
「はるがきたはるがきたどこにきた」(童謡・唱歌「春が来た」の歌詞)となる。
これは懐かしい子供の言葉遊びだが、朝日新聞の記事の中にも、同じ処理を施すと捨てるのが惜しい論考になる記事が混じっている。
朝日新聞とかけてふぐと解く。そのこころは
「毒を除けば食べられる」である。
ふぐは「猛毒を取り除けば」美味しい高級食材だ。朝日新聞にも「猛毒(の文章)」を取り除けば読むに値する論考がある。可食部はわずかだが。
では次に、「ふぐ毒」に相当する、具体的な文を除去する作業を行う。
除去文1:印象操作する情緒的な扇動文
論説文なので、一定の印象操作の意図が感じられる情緒文は、論説全体の信頼性を低下させる逆効果の方が高い。以下除去すべき文を記事から拾うと、
既視感のある妙にリアルな金額だと思ったらやっぱり……。
(さまざまな不安が)「2千万円」という数字によって焦点を結び発火した
にわかに関心が高まっている
年金を論じるならばリアリズム(現実主義)に徹する必要がある。
考えても見てほしい。
浜田編集委員は“リアリズム”という英語由来のカタカナ名詞を尊ぶ気持ちがあるようで、他方やや貶める相手の主張は“物語”という漢字名詞でたびたび揶揄している。
除去文2:藁人形論法
藁人形論法とは、相手の主張を歪曲・矮小化(藁人形化)して打ち破る議論方法のことを指す。新聞をはじめとするマスメディアがよく使う「きりとり」もこの手法の一つである。
今の制度は確かに様々な問題を抱えている。だからといって破たんさせ、社会的な扶養そのものを放棄する選択肢があるという主張はあまりに非現実的だ。
そんなことはまともな人は主張していない。
期待振りまく政権
痛みを感じず社会保障を改革できるという物語
期待も振りまいてきたが根拠は薄い。
いずれも単純化し過ぎである。「痛みを感じずに」などとは語られていない。上記のように批難するならば、むしろ「根拠が薄い」という根拠を朝日新聞側が示す必要があるだろう。紙面の都合は仕方ないが、根拠なく主観的な見方で断定する文章が多めなのも新聞特有の文体だ。
という物語がある
真剣な主張を「物語」という言葉で実現性が低いイメージを植え付けることで相手側の主張を弱めようとしている。
除去文3:すり替え
生活に深く根付いた制度は微修正でも困難を極める
修正が困難な理由は、「生活に深く根付いた制度」だからではなく、利害や権利の調整が難しいからである。理由のすり替えだ。確かに修正には複雑に絡まる利害や権利をさばく困難さはあるが、そういう修正を過去に実施してきたことも事実であり、困難極まるものではない。
除去文4:情緒的かつ非論理的な類比(アナロジ―)
今から100年前は大正8年。(中略)その頃、子どもから高齢者までスマホを操る今の社会が予想できただろうか。
年金の財政検証は100年間を見通して収支を計算するが、(中略)今あるデータを将来に投影しているにすぎない。
未来の社会を予想することが難しいからといって、「マクロ経済スライド」による計算が机上計算にすぎない(無力である)、という主張は、類比が粗雑過ぎるだろう。
この文章の「毒に相当する」文の構成割合は33.3%
表題も含め今回の論考を構成する文章の数を数えると、全文で66文である。そのうち「ふぐ毒」に相当する文の数は、22文だった(筆者の主観)。
構成割合を計算すると22÷66=33.3%であり、全文章の三分の一が「ふぐ毒」に相当する文だったことになる。個人的には想像より少ない印象がある。
66.7%を構成する「可食部」の要旨
三分の一を占める「毒」文を除去し、残りの可食部の文章からオピニオン(主張)要旨を抽出すると次の4点である。
主張1:現行制度は、将来にそれなりの年金を残すため、今の給付水準を下げることを織り込んでいる。自助も必要なことは間違いない。
主張2:未来は不確実なので、変化に応じて絶えず調整が必要だ。
主張3:社会保障議論の進め方で参考になるのが、(中略)スウェーデンだ。(略)利害関係団体を排除し、党幹部が密室で協議を重ねた。「(与野党5党の協議で)合意事項だけ発表し対立点は明らかにしなかった」という政治的なリアリズムに感銘を受けた。
主張4:「痛みの配分」の決定は与党だけで背負えるのか。首相が(野党との)協調を主導してはどうか。
以上である。社の方針であろう、参議院選挙を控え殊更に「老後2000万円不足問題」を言い募ってはいるが、極めて妥当な正論が述べられているではないか。朝日的な衣を丁寧にはがせば、検討に値する主張が表れてくる。
論説のオチ
この論説にはしっかりとオチがつけられていて、楽しい文章になっている。
首相が協調を主導してはどうか。野党を声高にののしるよりも。
テレビ映像を見る限り筆者には、どうみても逆に野党側が首相を声高にののしっているようにしか見えない。以下推測だが、編集委員浜田氏は「思わず正論を書いてしまった」ので、この言葉で結ぶことによって朝日新聞の論調に形式的に「角度」を揃えたのであろう。見事な落としかたである。
田村 和広 算数数学の個別指導塾「アルファ算数教室」主宰
1968年生まれ。1992年東京大学卒。証券会社勤務の後、上場企業広報部長、CFOを経て独立。