旧民進党もそうだったが、立憲民主党も多様性がセールスポイントである。旧民進党は多様性の象徴として蓮舫さんを代表にして、二重国籍を非難したら、多様性を否定する思想が根底にあるなどと無茶苦茶な切り返しをしてきた。法律上認められないことをすることが多様性とは驚きだった。
この前の週末、枝野代表は、「たださえ人口が減っているのに多様性を認めないとますます減る」といって「同性婚」などに前向きな対応を求めていた。同性婚を認めたり、子どもを産むも産まないも自由だから、子づくりを誉めたり奨励するなというのは、私は賛成でなくてもひとつの考え方であることは認めるが、さすがにそれが少子化対策になるはずはなく支離滅裂だ。
そして、多くの多彩な価値観を代表する女性候補をそろえたと言うが、妊娠したと嘘を言って男性をだましたとか自慢したり、自分の公約を覚えられずに「なんでしたっけ」と可愛らしくごまかすのが多様性だというのは、履き違えている。
さらに、気がついたのは、蓮舫さんや山尾志桜里さんが幹部だけあって、比較的若い美形の候補をそろえていることだ。
ものは試しに、女性公認候補全員の写真を党のホームページから拾って集めてみれば、多様性どころか、かなりの高レベルの美しい女性ばかりだ。偶然にこうなったといっても誰も信じないだろう。
少なくとも他の党は、さまざまなタイプの女性をそろえてこんな風にはならない。それに比べて、立憲民主党は容姿についてかなり高いハードルをもうけているのではないかと言われても仕方あるまい。こういうのこそ、本当の女性蔑視だと思う。
ほかの党はもう少し真摯だ。自民党には女性最初の知事も4人目の知事もいるし、ほかの党も立憲民主ほど人寄せパンダ的な人選はやっていない。猛省を求めたい。
日本では、テレビのキャスターだって、外国では低いしっかりした声の、ジャーナリストとして経験豊かな女性が多いが、日本は男性ならキャスターにしてもらえるはずもないほどの経験の浅い若い美形の女性を起用して薄っぺらな解説をさせている。
私は男女機会均等の擁護者だが、それは内容のある女性が大事にされるのでなければ意味がない。おりしも、EUではフォンデルアライエン独国防相が委員長に、欧州中銀の総裁にはラガルドIMF専務理事が就任する。いずれも、経歴として男性の候補とは少なくとも対等の人たちだ。
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授