独週刊誌シュピーゲル(7月13日号)はメルケル独首相(65)の健康不安問題に関連し、興味深いインタビューを掲載していた。米国ニューヨークに住む著名な女性作家シリ・ハストヴェット(Siri・Hustvedt)さんとの会見記事だ。同作家(64)はメルケル首相と同じように、突然、体が震えてくる体験をしている。神経科医や様々な医者にかかったが、原因は分からない。その時の体験をもとに、脳科学・哲学・文学などの知見をひもときながら治療にのぞむ「震えのある女」(副題「私の神経の物語」)という本を出している。
ハスヴェットさんは講演の時、突然手が震えだしたという。自身は健康だと思っていただけにショックを受ける。そこで原因を探しだすために、3人の医者、心理学者、神経学者、一般の家庭医にかかったが、原因は分からなかった。
彼女の場合、「パニック発作ではなかった。なぜならば、震えている時も講演は続けられたからだ。震えた後、自分は正常に戻る、謎だ。だから、脳研究、心理分析の知識で自身の症状を診断していった。本の中では自分は患者であり、同時に医者の立場だった」という。
注目すべき点は、ハスヴェットさんの手の震えは彼女の父親の死から2年が経過した後、講演で父親の話をしている時から始まった、という事実だ。奇妙な一致だが、メルケル首相は今年母親を亡くしている。
それだけではない。メルケル首相の与党「キリスト教民主同盟」(CDU)に所属していたドイツ中部ヘッセン州カッセル県のワルター・リュブケ県知事が先月2日未明、殺された。同県知事はメルケル首相の難民歓迎政策を熱心に支持してきた政治家だ。身近な親族の死と党仲間の暗殺事件という出来事がメルケル首相の脳裏の中で「震え」を呼び起こしたのでないか、という推察が生まれる。
ハスヴェットさんはその受け取り方を否定していない。「精神と肉体を分離して考える見方はナンセンスだ。我々の脳は体の機能にも影響を及ぼすことは体験済みだ」という。ハスヴェットさんは本を出版して以来、手の震えは消えていったという。
メルケル首相は17日、65歳を迎えた。同首相は昨年10月、2021年の任期満了後、政界から引退すると表明してきた。そのメルケル首相の震えが始まったのは先月18日、ウクライナのウォロディミル・ゼレンキー新大統領を迎えてベルリンで歓迎式典が挙行された時だ。両国国歌演奏中、メルケル首相の体が大きく震えだした。メルケル氏の意思とは無関係に体が激しく揺れだしたのだ。
メルケル氏は記者会見で、「水を飲んだので良くなった」と説明、健康不安説を払しょくした。その日のベルリンは30度を超す暑い日だったので、メディアでも「暑さによる脱水症状ではないか」と報じられた。
そして先月27日、ベルリン大統領府でクリスティン・ランブレヒト法相の就任式があった。式に参席したメルケル氏の体が再び震えだした。その時、水が運ばれたが断り、震えはまもなく収まった。今月10日、3度目の震えが襲ってきた。フィンランドのリンネ首相を迎えてベルリン連邦首相府前での歓迎式典の国歌演奏の時だ。
そして11日、デンマークのフレデリクセン首相を迎えた時、連邦首相府は歓迎式典の場に2つの椅子を用意した。メルケル首相はその椅子に座り、式典に臨んだ(「『ポスト・メルケル』の到来早まるか」2019年7月13日参考)。今月16日にもベルリンを訪問したモルドバのマイア・サンドゥ首相を歓迎する式典でメルケル首相は座って式典に臨んだ。
メルケル首相は自身の健康問題について聞かれた時、「自身の健康には関心があるから健康には留意している」と説明したが、震えが出てから医者の診察を受けたかについては返答を控えている。
東西両ドイツの再統一、その後コール政権に参加するなど、これまで長い期間、政治家として歩み、ストレスがメルケル氏の体で溜まっていることは間違いないだろう。最近では、難民歓迎政策で厳しい批判にもさらされてきた。そこに母親の死、党仲間の突然の暗殺などが短期間に重なった。そして突然「震え」が出てきたのだ。
メルケル首相もハスヴェットさんも体に異常が出る前に身近な親族や知人の死に直面している。その時の喪失感、痛みは本人が自覚する以上に大きなインパクトを与えてきたのだろう。その精神的痛みが耐えられない状況までになった時、体の異変となって表れてきたのではないか。
メルケル独首相は経験豊富な政治家だが、一人の人間として様々な喪失感、痛みを感じながら歩んできたはずだ。メルケル首相の「震え」は、人間が限りなく精神的存在であることを裏付けているといえる。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年7月19日の記事に一部加筆。