天を信ずる

明治・大正・昭和と生き抜いた日本が誇るべき偉大な哲学者であり教育者である森信三先生は、信というものに関し様々述べておられますが、一つに「信とは、人生のいかなる逆境も、わが為に神仏から与えられたものとして回避しない生の根本態度をいうのである」との言葉を残されています。私は、此の信とは言い換えれば、天に対する自分の信念だと思います。

例えば『論語』の「子罕(しかん)第九の五」に、「孔子一行が衛の国を出て陳の国へ向かう途上で、魯の国で一時期権勢を誇った陽貨という人物と間違われて陽貨に恨みを抱く匡(きょう)の人々に捕らえられてしまった時のエピソード」があります。

拘禁された孔子はその時、ひょっとしたら殺されるかもしれないといった中で、次のように言いました--文王(ぶんおう)既に没したれども、文茲(ここ)に在らずや。天の将(まさ)に斯(こ)の文を喪(ほろ)ぼさんとするや、後死(こうし)の者、斯の文に与(あず)かることを得ざるなり。天の未だ斯の文を喪ぼさざるや、匡人(きょうひと)其(そ)れ予(わ)れを如何(いかん)。

之は、「周の文王は既に亡くなっているが、彼の始めた文化は私が受け継いでいる。もし天が彼の始めた文化を滅ぼしてしまおうとお考えなら、そもそも私がそれを受け継げる道理が無い。しかし現に私がその文化を受け継いでいる以上は、匡の人々ごときが天に逆らって私をどうにかできるはずもない」といった意味になります。

あるいは、『論語』の「述而(じゅつじ)第七の二十二」に、孔子が宋の国の軍務大臣であった桓魋(かんたい)に命を狙われ、絶体絶命の危機に陥った時に発した言、「天、徳を予(われ)に生(な)せり。桓魋其れ予を如何せん」があります。

之は、「天は私に徳を授けてくださった。その徳を持つ私を、桓魋ごときが殺せるわけがない」といった意味になります。孔子はどれ程の窮地に追い込まれようとも、なお心の状態を平静に保つ、大変な肝が据わった人物だったのです。上記章句からも分かるように、孔子が如何なる時も「恒心…常に定まったぶれない正しい心」でいられたのは、天に対する絶対的な信頼感を有していたからでありましょう。

『論語』の中には、孔子が天に対しある意味絶対的な信を寄せていたと感じさせる言葉が沢山出てきます。「我を知る者は其れ天か」(憲問第十四の三十七)も、その一つです。ですから、孔子は「人生のいかなる逆境も、わが為に神仏から与えられたものとして回避しない」わけで、来たる大事に向け自分を鍛える為に天がそうしているだけのことだと捉えるのです。

これ正に『孟子』にある、「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先づ其の心志(しんし)を苦しめ、其の筋骨を労し、その体膚を餓えせしめ、其の身を空乏にし、行ひ其の為すところに払乱(ふつらん)せしむ。心を動かし、性を忍び、その能(あた)はざる所を曾益(ぞうえき)せしむる所以(ゆえん)なり」ということです。人生には、予想もしないような困難に遭遇することがあります。そんな時に不遇を嘆くのではなく、天の与えたもうた試練と思い、そのままを素直に受け入れる、といった態度が一番良いのではないかと思っています。

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