「夢」は昔、未来を占う手段だった。夢を解釈する預言者が現れ、王はその夢を自身が信じる神の声と受け取って重視した。ヤコブの子ヨセフが他の兄弟に疎まれエジプトに売られて行った。
さてエジプトの王パロは夢を見たが、誰もその夢を解き明かす者がいなかった。給仕役が夢を解き明かすヨセフを思い出して、パロに伝える。ヨセフはパロが見た夢を解き、エジプトの地に7年間の大豊作の後、7年間の飢饉が襲来すると告げ、穀物を飢饉のために蓄えるべきだと進言した。
ヨセフの夢解釈はその通りになったので、パロはヨセフを総理大臣にした話は旧約聖書「創世記」第41章に記述されている。「夢」は久しく未来を告げるものと受け取られていた。
それを変えたのはジークムント・フロイト(1856~1939年)だ。彼は「夢」を過去を知る手段と受け取り、無意識の世界を解明し、「夢解釈」をまとめ、精神分析学の道を切り開いた。フロイトにとって、夢は「未来」を告げるものではなく、「過去」の出来事などを教えるものというわけだ。
以前、本欄で「骨がその人の歴史を語り出す時」2018年12月18日参考)というテーマを書き、さらに一歩踏み込んで「細胞は歴史を知っている」と述べた。骨とそれを構成する細胞という人体を構成する物質を解析することで、そこに刻印された歴史を解き明かすことができるというのだ。
一方、フロイトは骨や細胞ではなく、精神(魂)に刻み込まれた過去、無意識の世界を解析していった。それゆえに、フロイトを「魂の考古学者」と呼ぶ学者がいると聞いた。フロイトは、未来より、過去に強い関心があった。現代風に言えば、「未来志向」ではなく、「過去の歴史志向」だったわけだ。
9月23日にそのフロイト死後80年を迎えた。フロイトのリビドー説が有名で、人間の性的欲望がその人の生き方に大きな影響を与えているとしたが、フロイト自身は性的衝動は子孫を生み出すための手段に過ぎないと考え、女性患者に対しても一定の距離を置き、患者の精神病の解明のために腐心した。彼には俗にいうアフェア(性的スキャンダル)はなかったといわれている。
私的なことだが、当方は来月、通算10回目の手術を受ける。今回は左目の手術だ。手術の回数として少なくないが、フロイトは生涯33回の手術を受けたと聞いて、驚いた。彼は晩年、口腔ガンに苦しめられていた。ナチス・ドイツ軍が1938年3月、オーストリアに侵攻すると、迫害を逃れてロンドンに亡命した時はガンは拡大し、彼は自由にしゃべることもできないほどだった。
独仏共同出資のテレビ局「ARTE」のドキュメンタリー番組でフロイトの生の声を聞いたが、彼の発言は聞きずらかった。フロイトは痛みが耐えられなくった後、知り合いの医者からモルヒネをもらって亡くなった。83歳だった。ロンドンに亡命して1年も経過していなかった。(「フロイト没後80年と『ノーベル賞』」2019年9月7日参考)。
彼は生前、カール・グスタフ・ユング(1875~1961年)と出会い、友好関係を築いていった。ユングがユダヤ人ではなく、スイス人の精神医であることをフロイトはことのほか喜んだという。なぜならば、当時、精神分析学は“ユダヤ人の学問”と受け取られるほど、ユダヤ系学者が多数を占めていたからだ。
例えば、ウィーンでは毎水曜日夜9時、精神分析学を研究する学者が集まり、フロイトを中心に精神分析の解析方法などについて意見の交流が持 たれた。彼らはほとんどがユダヤ人学者だった。
ちなみに、ユング自身は「フロイトは非常に複雑な性格の人間だった」と述べている。ユングはその後、フロイトの精神分析学から距離を置いて、独自の深層心理学理論を切り開いていった。
最初のテーマ、「夢」について。多分、夢には未来を告げる予言的なものと、脳内の海馬に刻印された人間の過去の出来事の再現を示唆する2通りが考えられる。人間は夢を見る存在だが、その夢を正しく解き明かすのは案外、難しい。
新約聖書には、「神がこう仰せになる。終わりの時には、わたしの霊を全ての人に注ごう。そして、あなたがたの息子娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう」(使徒行伝2章17節)という聖句がある。
高齢化社会の21世紀には「夢」を見る人が増えるとすれば、その夢を正しく解き明かすヨセフのような人物が必要となるわけだ(「ちょっとフロイト流の『夢判断』」2012年10月22日参考)。
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「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2019年9月26日の記事に一部加筆。