フェイスブック「ホライズン」〜 仮想現実に見る自分の本性

岡本 裕明

フェイスブックが新たなSNS交流サイト、ホライズンを発表しました。これは本人が参加するのではなく、自分のアバターがそこの主役になるそうです。アバター、ご存知とは思いますが、自分の分身をキャラクターなどにしてあたかももう一人の自分のような人格を与えるのです。

このホライズン、フェイスブックの英語版宣伝用画像がYouTubeにあるのですが、VR用のゴーグル(ヘッドセット)を身に着け、Wiiのリモコンのようなもの(タッチコントローラー)を両手に持ちながらあたかも違う世界にいる自分を楽しめるというものであります。こんなものができればディズニーランドに行く必要がなくなる気がします。

Facebook Horizon You Tubeより:編集部引用

この仮想現実の中に自分を放り込むわけですから例えば日本では江戸時代や戦国時代に戻って自分が豊臣秀吉や徳川家康と話をするといったシーンの再現も可能になるのでしょうか。

仮想現実を未来の自分に置き換えるケースは多いと思いますが、過去に戻ることも当然可能なはずで、ある意味、仮想タイムマシーンと考えてもよいのでしょう。現代の技術もここまで来たのか、と感慨深いものがあります。

私はフェイスブックはやらないのですが、このホライズンには大変興味があります。それはある実験がしたいのです。アバターが自分の分身と申し上げましたが自分の人格はそれほど人格者であるか、まともな人間であるのか、実は良い人と悪人の両方を持っているのではないか、といった様々な想定ができるのです。

仮想現実にある自分が自分そのままであってもそれはもちろん構わないのですが、普段できない自分の本性を出してみたいと思う人は多いと思うのです。例えば会社で上司やクライアントからいろいろ言われてストレスをためた自分に対してアバターには本当の自分を描くとか、あるいはストレス発散をアバターに代行させることも可能になるのかもしれません。

人が本性を見せた時、それが仮想現実の中でどういう社会とアバター同士の交流ができるのか、全く想像ができないのであります。

日経はマーク・ザッカーバーグ氏との単独インタビューを行い、トップ記事にあげています。その中で「かつてはまず製品をつくって提供し、問題があればその時点でやめる。そういうやり方をしてきた。いまは先手を打たなければだめだ」と述べています。

この言葉の意味は現実社会の道徳観から乖離した製品を造る会社の新たな試練という意味に聞こえます。

この発言の背景はもちろん話題の仮想通貨、リブラの話であります。リブラが実現するかどうか、今後の議論を待たねばならないのですが、私は数年のうちで何らかの形で市場に出てくると思います。その可能性としてこの「ホライズン」の中でのお金のやり取りを仮想通貨で行うのではないか、と勘繰っています。

仮想世界ですから世の中の法律も社会制度も何もありません。その無から生まれた新たな社会には中央銀行はありませんからリブラを基本通貨とすることは可能になります。

ある意味、ザッカーバーグ氏の作り上げようとしている世界は恐ろしくSFチックでありならがらも第二の地球が生まれるともいえるのです。想像を勝手に膨らましている私自身、本当にこれが現実に起きるのだろうか、と勘繰っていますが、どうやら技術はそこにあるように感じます。

私はザッカーバーグ氏に聞いてみたいのはこのホライズンがもたらすであろう参加型仮想現実の社会は自分のインタビュー発言にある「まず先手を打たなければだめだ」という先手を打ったのだろうか、であります。

ザッカーバーグ氏が描くメルヘンチックな社会だけであればそれは結構ですが、とてもダークな世界がそこに生まれた時、氏は再び、アメリカの公聴会で頭を下げることになりやしないか、と私は覗いてもいない仮想現実の社会に一種の恐怖すら感じるのであります。

では今日はこのぐらいで。


編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2019年9月26日の記事より転載させていただきました。